ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

The Chime will Ring / やがて鐘が鳴る(Flipper's Guitar)和訳

今回は私の一番好きなバンドであるThe Flipper's Guitarの曲「やがて鐘が鳴る」の和訳をやっていきたいと思います。ちなみにブログ名である『ココボロだとか好きだとか』の元ネタは彼らの曲『恋してるとか好きだとか~Sending to Your Heart~』です。

 

 

今回和訳するのはファーストアルバムの「Three Cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった」から「The Chime will ring/やがて鐘が鳴る」です。

このアルバムはすべて英題と日本語題がついています。著作権の都合上歌詞は載せられないのでうたまっぷへのリンクと、日本語訳を載せます。

 

リンク : http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=55895

 

以下和訳

 

僕はなんにでもなれるけど、ただその選択が良い手かどうか悩んでるのさ ※1

裏庭の弾丸を確認してみる。"不完全さ"そんなものに少しも意味なんてないのに

涙よ僕の尊厳のために流れろよ、我が気高さに万歳三唱

僕らは起きていたけれども、そんなのただのグレープフルーツケーキと同じ

そう、おなじなんだ

この盗んだ銃を、赤い赤い血と一緒に返そうではないか

 

僕らの胸を痛めつけるために、あの鐘が鳴るんだ

けれど、いつかそれこそが若さのお終いだって、喜び、気がつくのさ

純粋な言葉を言おうにも、どうして僕の舌は絡まるのだろうか ※2

君がこれを祈りと呼んでくれても、運命だと言おうと構わないんだ

 

 ※1 「なんにでもなれる」っていうのは"Having all kinds of card"の和訳。直訳では「すべての種類のカードを持っている」ですが、よくある人生のカードゲームのたとえ (渡された手札でどうにか生き抜くのが人生的なもの)に通づるものがあると思い、このように訳しました。「良い手かどうか」ってのも"is it ace or king"の訳でエースは一番小さい札、キングは最も大きい札なので良し悪しとして訳しました。

 

※2 "those golden words well tried" を「純粋な言葉を言おうにも」と訳しましたがこれはただの趣味ですね。普通に金言、格言、よくできた言い回しなどと訳していいんですが、これはstay goldと一緒で"輝いたままで"とか訳すよりかもgoldenを"純粋な"と捉えるほうがワタシ的に気が利いていると思うだけです。 

 

 

以上です。

彼らの曲の中でもイチニを争う名曲だと思っていて、このティーンエイジの終わりのような痛々しい、希望と現実感に打ちのめされるような歌詞が大好きです。

 

では、頭から見ていきましょう。

「You play with the card you're dielt」これはスヌーピーの名言として有名な一文で、「君は配られた手札でプレイするしかないんだ」という奴ですね。やがて鐘が鳴るの一文目も同じ内容の文章でしょう。それと同時に、私がちょくちょく取り上げてる?小林の、

人はさまざまな可能性をいだいてこの世に生まれてくる。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、しかし彼は彼以外のものにはなれなかった。これは驚くべき事実である。(小林秀雄, 様々なる意匠・Xへの手紙, 角川文庫, p9)

の文も含意されていると考えています。私が小林のこの言葉を好きすぎるだけかもしれませんが、まさに驚くべき事実です。

また、現代芸術の先駆けであるサルヴァドール・ダリも、

私はダンディの服装をしなければならない。自分のしたいことを強力にしとげる(ママ)ためにはダンディの恰好をして、外部に印象付ける必要がある。・・・・・・私は六歳で料理人になりたいと思った。それからナポレオンが理想であった。しかしいまや私はダリを信ずるようになった。ダリの人物、この服も、この髭もきわめて重要なものだ。私は正真正銘のダリでありたいと願っている。(S・ダリ、瀧口修造訳、異説・近代藝術論(新装版)、紀伊国屋書店、p130)

と語ったと言われています(歯切れの悪い日本語)。小林やダリが言うように、我々は科学社や料理人になれたでしょう。しかし、科学者の私や料理人の私になれたとしても、科学者のあなたや料理人のあなたにはなれないのです。これが、配られた手札にもつながっています。我々が持つ可能態(科学者の私や料理人の私といった、まだ顕在化していないがそれになり得る能力)=配られた手札であり、それ以外のカードはそもそも得ようがないのです。だって、私はあなたになれませんから。そしてダリの言葉のようにこの現状を受け入れ、肯定し、それ以上にその現実に邁進していくことが重要なのでしょう。

ということで、一文目から長く語りすぎましたので次に行きましょう。

 

裏庭の弾丸。これは私には銀の弾丸が思い起こされます。銀の弾丸とは、吸血鬼や狼男への必殺武器の意味で、西洋では比喩的に「困難な状況をそれ一発で解決し得るモノ・策」を指します。この曲では、弾丸を確認するが、不完全さになんて意味はないと言っていることから、確認した弾丸は銀の弾丸ではなかったのでしょう。

別に銀の弾丸じゃなくたって、弾丸の時点で吸血鬼や狼男にある程度のダメージを与えることは可能でしょう。それでも、我々は銀の弾丸を求めてしまうのです。完成しなくたって、ある程度の成果が出ればいいのに、完璧じゃないならやめてしまおうという考え方、そんな完璧主義志向の一端が我々には存在するようです。

 

そしてここで出てくる「say three cheers for nobility」。Three Cheers for our sideはこの曲の入っているアルバムの副題で、「我らが道に、万歳三唱」とでも言いましょうか。この道、とはNobility=貴族らしさ(気高さ)であったのですね。私は昨今流行りの貴族的道徳(ノブレスオブリージュ)があまり好きじゃないのですが、まあ余談はおいておきましょう。

 

この後の一文、 「僕らは起きていたけれども、そんなのただのグレープフルーツケーキと同じそう、おなじなんだ この盗んだ銃を、赤い赤い血と一緒に返そうではないか」というのはダダイズムで良いのでしょうか。芸術もそうですが、無理やり何かを思い起こそうとするよりも分からないものは分からないという事にしましょう。

 

 

ようやくサビですね。

サビ冒頭はやや難解な構造です。「僕らの胸を締め付けるように痛めつけるライム(rhyme)をもたらす為にあの鐘が鳴る」というのが直訳でしょうか。本文ではやや意訳をしましたが、学校のチャイムの様なものを想像しています。休み時間の終わりや、卒業式後最後のチャイムの様なものが私の頭にはあり、チャイムの終わりは寂しさや切なさをもたらすと考えています。最後のチャイム。卒業ソングでもまま歌われる題材ですが、それこそ別れのチャイムなんてものは私たちの離れたくないという気持ちを打ち砕くようになり、その響きに胸を締め付けられるのです。

しかしながら、続く言葉はポジティブです。物事の終わりは新たな始まりですから、チャイムの切なさを歌いつつ、若さの終わり、大人になる自分というものに喜びを感じている様子がと描かれています。

 

そしてサビ後半、これは註にも書いたように、私の趣味です。単純に、金言を言おうにも、よくある言葉(名言)、あるいは別れの常套句のようなもの言おうにもつっかえてしまうって解釈でもいいのですが、純粋というものを私が特別に感じているのです。Stay goldとはよく言われる言葉ですが、私はStay youとほぼ同義にとらえています。Goldは科学的に非常に安定で変化しずらい元素ですから純粋さという意味が存在します。Stay Goldといった場合は、Stay you(あなたらしくいて)というのと確かに少し異なり、"もともとの"あなたらしさという感じがしますね。

この曲でいう純粋な言葉を、私は「ありのまま思ったままの言葉」ととらえており、別れに際して思ったままを伝えたいと願うのに、どうしても感情が前のめりになって言いたい言葉がのどに詰まってしまうことを描いているのだと考えています。

ようやく最後。「君がこれを祈りと呼んでも運命と言ってくれても構わないさ」という言葉です。祈りと運命は面白い組み合わせかもしれません。祈り、それは呪いと全く同様の行為で、「元来少しも関係ないはずのものを関連のあるものと思い込む事」を指します。二つの違いは、その超自然的な因果律の飛び越えに、神や絶対者をの存在を織り込んでいるか否かといったところでしょう。そして運命。運命は将来までもがあらかじめ決定づけられていることを指します。一般的に、この運命は不変のモノとされており、それこそ祈ったとしても変えることはできないのです。

つまり、どちらにせよ何かしらの絶対的な存在もしくは法則に縛られている感覚があるのです。しかしのその内容がやや異なっていて、一方は、能動的な行動により何かしら変わり得る(と信じている)状態で、他方は決して変わり得ない状態です。

もっと言えば、君がどの立場であろうとも構わない、僕は僕のやり方で行く。というのがこの歌詞の意味なのでしょう。

 

 

またもや、長くなってしまいました。私の雑感はこんな程度です。

頭にも書きましたが、ティーンネイジの終わりの様な青々しい価値観に底付けされた決心みたいなのがいいのです。もう20代を超えて久しいですが、確かに10代の終わりはこんな感じで、今思えば些細なことに傷心し、(自分の中でのみ)重大な決心をし、そしてその決心に他者の考えは気にしないよと言い張るのです。

フリッパーズの中でもこのファーストアルバムは名盤で、いつ聞いても飽きません。とにかくいいんです。

 

気づいたら4,000字越え、これがレポートだったらいいのにね。以上。

なかなかうまく日本語には訳せませんが、これからも少しずつ消化していきたいと思います。