ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

No buses / Alpena 和訳

今回はNo buses の Alpenaの和訳です。

昨今のコロナ渦を歌ったような曲で、結構好きな曲です。

 

 

以下和訳

 

夜中走り続けて

僕にそのことを教えてよ

夜が始まる前に ※1

どうやって生き抜けばいいか教えてよ

学校はオンラインで

僕に何も教えてくれなかった

もしも君が"良い子"になりたいのなら

自分自身で学ばなければいけないよ

 

僕の中にある暗い部分が

いろんな事をみんなナイフで切り捨ててしまうんだ ※2

彼らのことは話したくない

だって、彼らはただ、校庭で話しているだけだから

僕はそんな楽天家にはなれないよ

僕にこの世界についてすべてのことを教えてよ

学校はオンラインで

今夜の"教え"なんてものは僕にとって無意味だった 

 

電話してもいい?

僕がやるべきことをみんな教えてよ

僕が知っていることなんて、親が教えてくれたものばかりだから ※3

 

君のやることが気に入らないね ※4

君がどこにいようと捕まえる

お母さんみたいに教えてあげるから

 

※1 Earky in the night の和訳。本来は夜の始まりにってところですが、なんとなく気に入らなかったので夜が始まる前ににしました。

※2 I'm kiling everything with a knife の和訳。僕はすべてのモノをナイフで殺してしまう。ってところが直訳ですが、まあ言いかえました。

※3 One thing that I know is I'm like my mother の訳。僕が知っていることはお母さんのものと同じ。という事なので、僕が知っていることは親がすべて教えてくれたとしました。

※4 訴えてやるってのが直訳ですが、sue me といった場合は痴話喧嘩の売り言葉で「だからなんなの?」くらいなので、sue youを逆に「君の言動が気に食わないんだよ」くらいに訳しました。

 

以上

 

今回はNo buses のAlpenaの和訳です。少し前に出ていた楽曲で、ゆったりとしたふんわりと暗い音楽に、けだるそうな歌い方が印象的です。またサビに入るギターリフが非常に印象的。サビ入りのメロディーの変化の、暗かった森が急に開けたような雰囲気にが好きで、久しぶりに聞いたらはまってしまいました。

本当は先日出たI'm with youの方を和訳しようかと思ったのですが、なんか聞いていたらこっちにハマってしまったので、優先順位を変えたのです。

そもそもこのAlpenaはアメリカ、ミシガン州の都市の名前です。曲名の由来は知りません。

 

1990年代後半から、2010年代の初期に生まれた我々の様な人間は巷でZ世代と言われるようですが、そんな私達"若者"の苦悩を歌った曲でしょうか。大人が言うような"昔は良かった"の対抗馬として"今の僕らは辛いんだ"というつもりは無いですが、なんとなくやりきれなくなる気持ちが私には常にあります。

デジタルネイティブだから当然PC・スマホを自由に扱えるよね、オンライン授業だとしても自ら進んで勉強するのは当たり前・できないのは自己責任、インターネットで情報は集められるんだから何でもわかってるでしょ。といったような高いハードルが私達にはある気がするのです。もちろん、これまでの世代の人々が若いころにも同様の風潮があったのかもしれません。だとしても、世代特有の悩みから人類全体の悩みにシフトするだけで"悩み"であることに違いはないのです。

歌詞にあるような楽天家には、私もなれませんでした。常々言っておりますが、私は田舎のDQNに生まれたかった。高校を卒業して地場企業に就職して、若い恋人と共にすぐさま家庭を作り子どもを育て、厭に厳つい、あほみたいな顔をしたでかい車に乗って、パツパツのジャージに、白のキャップでもかぶって、テレビや世間に文句を言うような人間に生まれたかったのです。

これは間違いなく私の良くない偏見が混じって(多数を占めて)いるのですが、お互い様でしょう。私は彼(女)の様な人間にはなれないし、彼(女)らも私の様な人間にはなれなくて、なんとなく、自分の人生の方がいいと思っている。ただそれだけのことです。

 

 

私にとっての悩み事はいつも同じ、不満足なソクラテスよりも満足な豚であるべきかどうかです。150年ほど前に死んだ哲学者、J・S・ミルの言葉に未だ囚われているがために、こんな下らない文章を書き続けているのではあります。私はいつも同じ結論、"勇気をもって"不満足なソクラテスを生きることを選ぶのですが、選びたくないという心持は言うまでもありません。向上心の無い奴は馬鹿だという言葉は漱石ですが、人間は何もしたくないのです。辛い今はいやだし、かといって辛い未来だっていやなのです。

余談ですが、最近キュウソネコカミの『DQNなりたい、40代で死にたい』を耳にする機会があり、この陰鬱とした心持をpopに表現する人たちがいるのだと知りました。ぜひ一度お聴きください。

 

努力は必ず報われれるという言葉も嫌いです。我々世代は環境が十分に整えられつつあることもあって、却って自らの無能さを自覚することに慣れているのです。整えられた人工的な(他人が作った)希望なんてものはすぐに嘘だとわかってしまうのです。

 

なんだか厭なことばかり書き綴ってしまいましたね。この曲のキーは結局、他人からの教えを請い続ける部分だと思うのです。

この学習に対する受動的な態度こそが、どことなくティーンネイジャーマインドを感じさせるというか、我々z世代らしいというのか。現代はインターネットさえあれば、(国内であれば)どんな場所でも、ありとあらゆる情報に触れることができ、"話を聞く相手を選ぶこと"ができます。もはや空間の隔たり少なくなったことにより、一層私達の環境は画一化し、個人の資質が問われる時代になりました。それに加えてのSNSです。比較が容易になった現在において、"自分にとっての価値"なんてものはもはやあり得ず、常に他人の目を気が気になってしまう日々なのです。

自分を信じろだなんて言いませんし、ありのままのあなたが美しいと、私は思いません。自分を信じたところで人間なんて怠惰な生き物であるし、ありのままのあなたは美しくもなければ素晴らしくもありません。

あなたよりも優れた人間はこの世にいくらでも存在し、そのうえインターネットを使って簡単に見つけることができます。まあ彼らは努力の跡を残さないのですが。

だからこそ、あなたは泥臭く生きるべきなのです。あなたらしく生きるために必要なのは、ありのままに生きることではありません。泥臭く生きることによってようやく人間になるのです。彼(女)らもきっとそうでしょう。私達にはわからぬ苦悩を持って生き、私達には一生理解できない苦痛を受けながら生きているのです。輝いて見えるものの裏には必ず影があるにもかかわらず、光ばかりが綺麗なのではわかるはずもないですが。

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。

この一文は以前も引用した、太宰治の『葉』からの文章です。(太宰治 葉)

私はこの言葉に真実味を感じるのです。太宰はきっと悪い男でしたし、よい環境に生まれた運のよい男だったでしょう。しかしそれでいながら、私達には到底わからない"彼なりの苦悩"にさいなまれて死んだのです。

私もいつかこんな人間賛歌を綴れるようになりたいと思う今日この頃なのでした。

以上、No BusesのAlpenaに寄せて