ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

赤いダイアリー

今年の初買いは予定帳で、文庫本サイズの本当に本のようなダイアリー。改めて赤い表紙を付けて赤いダイアリーを作った。

単純に赤が好きなのと、小沢健二の『天気読み』に惹かれたから。

「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカな過ちはしないのさ」

私は昨年この言葉を痛感しているから、天気読みはとても大切な歌の一つだ。

 

一昨年、私は生まれて初めて真面目に生き抜いたのだと思う。

あこがれの人がいて、今のままでは適わないと知っていたから、立派な人間になってもう一度お会いしたらば結末が変わるかもしれないと願っていたから。

コミュニケーションがうまくなるような努力だってしたし、偶然に出会う可能性のある日には一日たりとも外見に手を抜いたことはなかった。良い人間に見られるように見た目だけじゃなくて中身を補填できるような経験も体験も重ねるためにできる限り精力的に自主的に活動をしていたし、楽しい話をできるように趣味にだって打ち込んだ。

何度かお誘いをかけても結局会うことはできなかったけれど、寒い時期、一度だけ偶然であったのです。けれども何も言えなかった。お疲れさまです、とだけしか喋れなかった。

ああ、私は偶然あこがれの人に出会ったときのために様々な経験をして、土産話なんかもいくらでも作って、おどける方法なんていくつでもあったのに何も言えなかった。出会った瞬間、声をかけるかすら迷って、一度タイミングを逃した。改めて声をかけようとしてお疲れさまですしか言えなかった。あの日の私は間違いなく私らしい格好をシていたし、十分すぎるくらいに準備ができていたのに、何も言えなかった。

「ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカな過ちはしないのさ」

そう思っていたのに、私は過ちを犯したみたい。

 

そんなのもかれこれ一年も前の話。けれど今日も偶然すれ違った気がして思い出してしまった。私は目も悪ければ頭も悪いから、何が見えているかもわからないし、見えてもそれが何であるのか見分けられないし、見たものが何だったのかも知らないし、見たことを覚えてもいられない。

だからあなたとすれ違ったどうかすら曖昧なまま。どうでもいいね、こんなことは。

 

活字中毒だから、事実を言葉として改めて見たくなってしまう。頭の中を整理するためには文章が必要で、そこに感情というよりかは、考えの軌跡のようなものをつなげて行きたくていつもくだらない言葉を綴り続けている。

「いつか違う言葉がもらえるようにがんばりますね」

これ以上無いくらいに私らしく、正しい言葉であったと今でも思っている。

いまでもその言葉に縛られているし、この言葉がなければもっと楽に生きてゆけただろうし、もう少し幸いな一年だったと思う。けれど今のような人間には成れなかったかも。

かなわない恋を願い続けるのは自分勝手だけれど、この恋がなければ私はもっと怠惰に過ごしていたのだからいいのでしょう。この感情が恋でないのであれば私には何が恋であるかわからない。この恋が私を高めてくれたのだから、この恋が間違いであるのならば何が正しい恋であるかなんて私にはわからない。

そんなことを言わしめるくらいには大切な感情なのだけれど、気持ち悪いなとも思っている。それでもいいけれど。私はこの感情を人には告げないから。私がこうして一人文章を起こして、誰も見ない公共の場に乗せるだけ。私にとっては溜まった感情を表に出しているし、誰一人としてこんな文章を見ないから迷惑にもなっていないでしょう。

 

私の一年を支えたのは紛れもなく、一度も会うことのなかったあなたです。

このコロナ禍において、私が努力をし一年を棒に振らず試験を受け、学問に励み新たな知見を得るための活動をしたのはあなたのためです。

偶然にして出会ったときに話すための話題作りに過ぎないのです。すべて私のこの生活があなたのためであって欲しいと願ってやまないのです。もはやあなたの言葉もいらないのです。どこかで生きてさえいてくだされば私が信仰するに十分なのだから。

努力のベクトルが間違っていると言われる落ちでしょう。それでも何もしないよりかはマシだと思うのです。私にとっては

以上