ココボロだとか好きだとか

社会人・通信大学生による独り言と備忘録

ビジネス実務法務2級を受けて

ビジネス実務法務2級に合格した。これでビジネス法務エキスパート®を名乗ることができる。まあ名乗らないけど。

特段他に何も言うことはない。強いて言うのであれば、昨年度とは異なり自宅で受験をしたことであろうか。

 

 

ビジネス実務法務2級概要

実施者:東京商工会議所

受験料:IBT 7,700円、CBT 9,900円

出題範囲:3級の範囲および2級公式テキスト(2026年度版)の基礎知識と、それを理解した上での応用力を問う。全40問。

 方式:IBT もしくはCBT(複数肢択一式、若しくは複数回答式)

合格ライン : 100点満点中70点

 

 

 

ビジネス実務法務2級は2度目の受験であった。昨年度は2024年度の公式問題集のみを参考に2週間くらい勉強を行っていた気がするのだが、惜しくも1問分足らずに不合格を受けた。

本年度においても、リベンジ回ながらもあまり学習の時間が取れず、2024年度の公式問題集の模試を2つ(過去問を利用した模試形式が3つあるうち)をちょっとやって、ちょっと復習してといった感じだった。正味の学習時間は3時間程度で出会ったのだろうが、日ごろ法学部の通信教育を受けているおかげか、はたまた民法のレポートを書いたおかげが、あるいは昨年度受験してしばらく置いたおかげか、あんまり苦労なく条文などが頭に入ってきた。

合格したいと思うのであれば、過去問を数周回すのがいいだろう。40問しかなく、配点は2点と3点のものがあるのでなんとも言えないのであるが、28問程度が分かれば合格である。私の場合は、大抵資格試験では2週問題をまわして、受験終了することが多いのであるが、1周目の時点で自信がない問題は10問、のこり30問はそこそこの自信をもって回答できていたので安心の下、試験終了ボタンを押した思い出がある。

正直言ってあまり困難な試験ではなく(一度落ちた人間が言う事ではないのだが......)、やれば受かるし、あんまりやらなくてもしっかりと問題文を読み、リーガルマインド(というなのある程度公正な判断基準と常識)を持ち合わせた人間であれば、合格できるのではないかと思う。おそらく、過去問3種類を2週ずつ位すれば、10時間程度の勉強で、受かる人は受かってしまうのだろう。

 

結果として70後半の点数で合格できたのでまあ予想通りといったら予想通りの結果だったのであろう。私の場合は、昨年度CBTで1万円程度を払って不合格、今年はIBTで8000円程度払って合格であり、合計でそこそこの金を東京商工会議所に払ったのであるが(さらに物理的な合格証明書(電子証明書は無料)も追加で申請したのでさらに2,000円くらい払っている)、まあ最低限の資格取得してビジ法2級が取れたことは良いのではないかと思っている。

次はDS検定やら統計検定、危険物やら公害防止管理者やらいろいろと食指を伸ばしたいところであるが、本業と本学業との兼ね合いもあり、今後どの程度遊んでいこうかは少し悩んでいるところである。

 

最後に合格証を自慢して終わりたい。

 

デジタル合格証

デジタル合格証は試験直後からダウンロードできるようになる。また、これと同時に成績表(企業取引・契約に関わる分野、企業財産の管理に関わる分野、企業活動に関する法規制に関わる分野、債権の管理と回収に関わる分野、法的紛争などの予防と対応に関わる分野、企業・会社の組織に関わる分野の6分野についての分野別得点率)も見られるようになる。なお、私は債権の管理と回収(自己破産やら破産管財人やらの分野)が苦手であったみたいだ。

 

合格証明書カード

続いては合格証明書カードだ。2022年まではプラスチックの所謂免許証カードが配られていたようだが、以降は廃止されてしまったようだ。その代わりに出てきたのが1枚目のデジタル合格証らしい。前述の通り私は2000円課金して物理合格証を頼んだのであるが、それに付属してきたのがこのカード?だ。カードと言っても書類の右端にミシン目が付いた非常にちゃっちい物となっている。残念。

 

物理合格証

最後は物理合格証だ。これが2000円。まあこういう奴の方がうれしいよね。例によってMicrosoftの画像編集機能の一つである「削除」を使っているので表記がやや怪しくなっている。綺麗金の縁取りがされた賞状をよこせとは言わないものの、厚紙ですらないのはちょっと結構残念。見た目も質感も、コンビニで住民票を取る時のアレだ。まあしっかりしたものが欲しければ自分でデジタル合格証をいい紙に印刷するのが良いのだろう。

 

次は公害防止管理者と簿記二級、G検定、FP2級だろうか。結構多いな。

以上

ドキュメントホルダー

アタマの中が濁っている感覚が抜けない。

やるべきことなんていくらでもあるのに、どうしても動けないような日々が続いて、終ぞ私は、ただ惰眠を貪るだけで日常を消費するようになってしまった。

 

 

私は昔からドキュメントホルダーというものが好きで、ナニカ書類が溜まる度にそれを購入しては、二度と読むことのないであろう文書を様々投げ入れて大切に保管している。ドキュメントホルダーとは、幾つかのポケットが付いていて、分類しながら書類を整理することができるファイルの事で、学校や職場やどこかで見たことがある人が多いだろう。

書類を仕分けながらいつも思う。きっともう読まないのだろうと。それでも私は保管しておくことを辞められず、ホルダーに入れることで整理した気持ちになって満足してしまうのだ。

 

私は昔からあきらめの悪い人間であるから、数か月前に分かれた恋人のことを時折思い出しては、自分が至らなかった部分を思い直している。ああすればよかったこうすればよかったと後悔しては、何も整理されないまま時間が過ぎてゆくのだ。ずっと一緒にいられると思っていた。そんなありきたりな言葉を吐くことがあまりにも自分らしくなくて厭にもなる。

最後に会った時に手渡したけれども開かれないまま本棚に戻された絵本の事をふと思い出し、それが伏線の様なものだったと後からこじつけているのだ。The Rabits' Wedding、私にとっては、その本を手渡すこと自体がプロボーズに違わなくてあの時それを君が開いてさえくれていれば、今ここにある現実は全く違ったんじゃないかとさえ思っている。まあ実際には、別れてしまうような関係であったのだから、ただの絵空事なのだけど。

 

私は何もかもすべてタイミングに過ぎないと思っている。昔の恋人と付き合っていた事なんて、ただタイミングが良かったからであって、もっと素晴らしい人なんていくらでもいて、もっと気が合う人だっていくらでもいて、それでもなお、タイミングが良かった人の事を一番だと思い込んでいくことが恋愛なんだと信じている。過度な現実主義、ラブ・ロマンスなんてものは時間が決めるものであって、初めから存在するものではないのだ。ああ、今ではもうその名前を呼んでいた事さえ不思議に思ってしまうのに。

 

今日もまた、新品のドキュメントホルダーに書類を詰めて、大切な思い出の詰まったアタッシェケースに仕舞い込んだ。私は何かを仕分けることで、過去を整理した気になっているのだ。

昨日見た夢では、かつての恋人と出会い、他愛もない話をしてただ別れる"経験をした"。きっとこれが恋の終わりなんだろうと朝起きて思ったのにもかかわらず、その日の午後にはまた、ふと過去を思い出しては、胸が締め付けられる痛みに耐えるのだ。

ホルダーに詰め込んだ過去は、過度に美化した思い出になりつつあって、私はそれを見返すこともしないのに、捨てられないでいるのだ。

慶応通信正科生の一年目を終えて

慶応通信正科生の一年間を概ね終えた。この辺りで一度振り返っておきたい。

 

まず、私は学士入学で慶應通信法学部乙類に入学した。そのため、教養科目の40単位が入学時点で認定されている。卒業所要単位は124単位であるから、のこり84単位を修得(教養科目の外国語(英語)8単位、卒業論文8単位を含む)すれば卒業できることとなる。

また、2025年度入学であるが、その前年の2024年度には科目等履修生として同学部同類に所属しており、スクーリングで8単位、テキスト科目2単位を修得していた。

以上をまとめると、私は入学してから卒業するまでに、

・外国語科目を8単位修得

・専門科目を58単位修得

・外国語もしくは専門科目で7単位以上をスクーリングで修得

・卒業論文を8単位修得

すればよいことになる。

 

 

以下の図は、通学で通っていた大学のころから使っている単位計算表(大学院入学や通信大入学の度に若干修正して使い続けている)である。ちなみに、今期というのは、2026年4月からの半年間を意味している。通信大学とは面白いもので、通学当時には一学期(半期)で24単位やら20単位などの修得上限があったものだが、通信大には存在せず、やる気さえあればだいぶ単位を積み増しできる。閑話休題。

単位計算

 

入学当初より、3年を目標に卒業する心づもりでいた。学士入学の最短卒業は2年半であるが、半年程度であればあまり変わらないと思っている。また、卒業までに必要な単位は2年目で取りきるつもりでもいたので、この2026年が胆となる。

とまあ、こんな威勢のいいことを言っておきながら、2025年度、入学初年度に修得できた単位数はたったの10単位である。内訳は外国語6単位(うちスクーリング2単位)、専門科目4単位(うちスクーリング2単位)だ。あまりに少ない。ただし、レポートは不合格ながら科目試験のみ合格の科目が6単位あるので、こちらは将来レポートさえ再考すれば遡及的に2025年度修得と言ってもいいだろう。

 

慶応通信の場合は、単位修得までにレポート合格と科目試験合格の二つの壁があり、特に科目試験は四半期に1回、6科目までしか受けられないため、取り返しがつかなくなる場合がある。

また、入学初年度はⅠ期試験を受験できない(レポート提出しないと試験は受験できず、Ⅰ期(4月)試験のレポート締め切りは前年2月である)ため、実質は3期で16単位と言っても過言ではない(過言である)。

この考えからすると、私は年間で21単位ほどを修得するポテンシャルがあり、3年だとギリギリ間に合わない。ダメじゃん。

 

ということで、2026年度はもうちょっとペースを上げて頑張っていきたい。どうやら単位修得がもっと難しくなりそうとのうわさもあるようなので、心して臨む必要性をひしひしと感じている。

さらに、今年度修得したスクーリング単位は全てメディアスクーリングであり、対面の、スクーリングは一つも参加していない。来年度は週末スクーリングやら夏季スクーリング(地方の社会人なので、1週間程度が参加限度とは思っている)を使うことで、少しでも単位の積み増しをしていきたい。

あとは、卒業論文にもそろそも着手しなければならないので、そう言った面でも注力が必要であると内省している。

 

 

最後に

恋人に別れを告げられた。

 

まあ、そんな気は若干していたからこそ、ひどくショックを受けたわけではないのだけれど、寧ろ、自分自身のそんな心持ちにこそ、落胆しているような気がする。

最近は、朝も寒いし仕事で任されていたプロジェクトは最後の最後でこけてしまったし、風邪をひいてしまったりで、悪いことは続くのだなと思った。

 

私は人を呪わないと決めているので、別れ際に良かったことやら悪かったことやらを告げるのは憚られる。今後がない関係というのは非常に無責任で、そんな立場から呉れてやれる言葉なんてものは、たといそれが誉め言葉であったとしても、一生引きずってしまうような、云われた通りに生きなければならなくなってしまうような呪いになってしまうものだと了解している。これは私独自の考えなのかもしれないが、人からの見てくれを気にする私にとっては、最後に告げられた思いなど一生かけてもぬぐい切れない染みになってしまう。だからこそ、余計なことは言わず別れを受け入れた。ただ別れるという事実さえお互いが承認すれば、契約は成り立つのであるから。

楽しかった日々もあるし、嫌なこともあるし、ただそれは、なんとなく丁度良いところにお互いがいたからであって、そうでなくなったのだから別れるのだという事実は、大しておかしなことでもない。遠くにいる好い人よりも、近くにいる良い人のほうがよろしいのだと、私自身頭でわかっているのだから。

ただ、当然後悔も多少ある。私は平静を装う事ばかりに気を取られていて、話し合う雰囲気すら見せなかった。あまりに不誠実だったのではないか。もはや謝る機会もないのであるが、私の汚点として忘れぬまま後悔し続けたい。無意味ではあるが、せめてもの償いとして。

ただ、君が数週間悩んだ答えを、たった数分しか考える暇がなかったという点だけはわかっていてほしいとも思ってしまう。まあ結局はあの絵本を手渡した時に、君がそれを開かずに、わたいもそれについて何も告げなかった時点で負けていたのだろう。

 

我々の日々はあまり時間がない。次の行き先を早急に決めて、未来を形作る必要があるのだろう。忙しなく生きることこそ、よろしいものだと分かっている。

ああ、また何もかも大学の頃のパラレルで、行きたい進学先には行けず、 納得のいかない環境で昔の好い人を想って恋人と別れた。未だに、私はあの人の幻影に囚われていて、横浜の地を恨んでいる。今もまた、行きたかった就職先には行けず、納得のいかない環境でもがきながら、恋人と別れた。仕方のないことなのだろう。

 

また、悲しい気持ちは悲しいままにしておきたいと思っている。悲しい気持ちのまま、自分の中での"初七日"を終えられれば、また次の日常を迎えられると思っているから。一週間くらいはどうにもよぎる良かった思い出の品々に都度涙を流しては、それを他人に気取られないように隠す日々を送るべきでしょう。

 

そんなところ。

私は、いつか私と過ごした人が、私や私の名前を見た時に、過去を肯定するとともにその人自身を肯定することができるような人間に成りたいと思っているから、日々生きるよ。善い人になると人と出会い別れる度に思うのだ。

 

 

 

 

横浜

横浜、幾度となく通ったその地に久方ぶりに降り立ったのだ。

 

当日の私は一分の隙も生まないように、杢の入った厚手の明るいグレーのタートルネックニットに、同じくフランネルの柔らかなウールのトラウザーズを合わせて、そして、いつ、人に触れられても良いようにカシミアの外套を纏っていた。

 

約束の店には、馴染みの顔が既に一角を占めており、かつての憧れの人に戸惑いながらも席を選び、同窓の思い出を語るよりも先に近況を話し始めたのだった。

 

 

 

「苗字が変わりそうな人はいないの」

 

誰かが放ったその言葉に反応したかの女の声を、私はしっかり聞けていたのかしらと今でも思う。当たり前ながら、というよりも屹度、そうでなければ可笑しいくらいに当然の出来事なのでしょう。私が憧れるようなヒトなのだから、真っ先に幸いになるべき善い人に決まっている。だからこそ、論理的には当然受け入れられるべきなのだけれど、愛だ恋だを語ろうとする私自身の頭の内には、もはや感情以外の要素が残っているはずもなく、咄嗟に身の内話を始めることで耳に入れたくない現実を遠ざけたのであった。

 

嗚呼私は、今の恋人と共にいる心算であるのに、どうしても消えない過去の思いをいつまでも残しておくつもりでいるのだなと、飼いきられない自身の思考に恨みを述べるのである。

 

思えば私は昔から、過去の出来事を何とか頭の中に戻しては、またどこかに仕舞い込み、いくらでも反芻してその感情から得られる"栄養"なんぞを味わい続けているのだ。もちろんそれは、決して美味たるものでもなく、受け入れ難かった過去の現実を以て、至らない現在の自分自身を揺さぶる原動力を得んとする後ろ向きな姿勢であって、多分こんな感傷的な方法は、もっと若いうちに捨て置くべきであるのだろう。

 

私はいつも、ナニカに対する憧れ若しくは、自身に対する至らなさについてばかり文字を書いては、同じ結論を導き出している。それはいずれも、善く生きることに対してのコシュウで、非道く生きたことに対してのケイベツである。

 

 

 

自宅への帰路で、私はもう、憧れすら移れつつある自分自身にも共に失望していた。私の今は、叶わなかった現実を将来に顕在させるべく奔走した結果であって、その根本にあったはずの憧れを消すことは、その意義を全くなくすことに違わないのである。つまり、私はそこに自己同一性への懐疑を見出しているのだ。

 

どのように考えても、私は正解通りの言動を積み重ね、何事もなく善く家路へ着いたのである。しかしながらそんな現実とは裏腹に、私自身の感情はもはや善くあることを願っておらず、好い人への憧れを願っているのだ。そこにはもはや肉欲的に係る思いは在らず、精神的な自己満足だけが残っていて、その人に関わる私の言動には終ぞ価値があったことなど無いと分かりきっていていながら、何も伝えずにいることが憚られる思いであった。まあ、何も告げずに帰ることができた私には、多少なりとも理性的な部分が残っていたと思うべきで、結果としては、なに一つのきっかけもなくてよかったのだろうけれども。

 

 

 

長くなった。詰まるところ、冴えない人間が過去の恋愛への後悔を恥ずかしげもなく衒学的に垂れ流し続けているだけの内容である。願わくば知る人の目に届かぬことを、などと言いがらも私は、外に向かって心持を残したいのである。

アタッシェケースへの思い

アタッシェケース。イマドキ誰も持ち歩いていないのでは無いかと思うそのかばんについて、私はどうにも憧れを抱いている。

 

初めてそれを手にしたのは高校生の終わりごろ。隣街のリユースショップに売られていたそれは、ワインレッドのレザー製で、少し大ぶりなサイズだった。一目見て欲しかったものの、自転車を走らせてきた手前そんなものを持ち運ぶことはできずに、しぶしぶ帰ることにしたのだった。

翌週、部活が終わった頃にそのかばんを目当てに再びあの店舗に向かった。もしも売り切れていたらなんて杞憂しつつ、兄がバスケットボール部だった頃に様々な荷物を詰め込んでいた大きなカバンを背負って、前のめりになって自転車を漕いだ。幸いにもアタッシェケースは売れ残っていて、まあ売れているはずもないんだけれども、2, 3千円くらいのその品を勇気を出してレジに持って行った。何やら大きなカバンを持ったティーンネージャーが、スニーカーやコートなどではなく、古臭いかばんを買う光景は、屹度おかしいものに見えるだろうと恥ずかしさを感じながら、私は、憧れの物を手にする喜びに期待をしていたのだった。

 

そのかばんは、今思えばもう十年以上連れ添っていることになるのか。未だ外に持ち出すことはないのだけれど、高校の卒業記念にもらった思い出の品とか、働き始めたころにこぞって友人同士交換した名刺だとか、あるいは記憶に残っている美術館のチケットだとかを詰め込んでいる。いったいいつになれば、そのかばんを持っていても恥ずかしくないような大人になれるのか、私にはわからないが、その日が来るまでは大切な記憶の記録を保管する容器として役目をはたしていてもらいたい。

 

なんでこんなことを思い出したのかというと、そのかばんを買ったのもちょうどこんな時期だったからだ。今は手放してしまったスポーツバイクにまたがり、化繊でできた青と茶のダッフルコートか、プラスチック製で厭に大きい銀色のボタンが付いたショート丈の黒いピーコートを気に入って着ていたはずだ。格好よくはないけど温かいワークマンの手袋をはめて、しまむらで売っていたMOON社製のツイードが使われたネックウォーマーで詰襟を隠していた。音楽は、たしかHi-STANDARDチャットモンチーだとかにハマっていて、歌詞に共感するんだなんだ考えながら、少し年上の先輩への憧れを想っていたんだっけ。そういえば、この記事を書きながら聞いているこの曲の歌手は、あの人に似ているから好きになった気がしなくもない。全ての思い出が良いわけでもなければ、思い出にならなかった良いことだって私の過去にはいくらでもあったはずだ。それでもなお、特に形に残ったものだけでも、私は人生を添い遂げたいと願ってしまうのだ。

赤いアタッシェケースは私の過去を詰め込まれて、本来の役目を果たさぬまま、いつまでも部屋で眠っている。しかしながらそれはかばんにとっての墓場ではなく、私が、能う人間になるまでの役不足な仮初の仕事である。新たに詰め込める夢が無くなって、現実をせっせと生きるようになる頃に、屹度私はかばんに見合う大人になるのかもしれないと、ふと思った。

東京と地方に

東京というのは暫定解として余りによろしく、優柔不断な私には心地よく映るのだった。

 

半年ほど暮らすこの地方では、車さえあれば無難な生活を送ることができる。詰まるところ、車がないと日常がままならない。生きていくために必要不可欠な出費として燃料代と車両代が掛かってくる。一方で東京のあたりで過ごしていた時には車なんてものは必要なく、公共交通機関と自転車さえあれば大物家具を買う時以外には何不自由なく暮らすことができていたのだった。

 

先日は水戸に参った。立ち寄った美術館では地元の高校生達の市民リサイタルが催されており、久方ぶりに私は"音楽"を聴いたのだった。もちろんこれは"音楽"を非常に狭く捉えた上での狂言なのだが、もう忘れ去ってしまった高校の頃の思い出をそこに見て、懐かしんでいたのである。

彼(女)らの演奏は天窓からの暖かな陽射しを受けながら朗らかに香り、身体を揺らした。それは比喩でなく、長らく耳の側で紛い物が奏でる"音"しか聴いていなかった私の体にとって、その場にある楽器が空気を揺らして伝えてくる振動は、確かに"音楽"特有の、触覚を伴った体験であった。

 

東京にいた頃の私は、屹度そこから出て暮らすことは無いのだと思い込んでいた。実際、地方-東京間を移動するまたと無い機会である就職活動では、東京で暮らすことができる職も、地方で暮らさざるを得ない職も両方を選ぶことができた。学部生の頃は、私は当然都内を選ぶはずだと信じており、実際地方を選んだのも就職活動が終盤に差し掛かってからであって、100%前向きな決断ではなかった。

それでも今は地方で良かったと思っている。私は東京に憧れがなかった。それは、兼ねてからその地に気軽に赴くことができたからで、その内実を知っていたから。東京とはそれほど良い場所でもなく、暫定解として、日本に存在する粗方全ての体験をどうにか味わうことができる程度の僻地である。その選択肢の多さはよろしいのだが、選択肢がない事もまた同様によろしいのである。

私は意識が弱いから、迷いの少ない地方を選んでよかった。私には私なりに善く生きるために、“すでに選んだやりたい事”があるから。選択肢を絞った人間にとって、東京は必要ないのだ。

一方で、屹度子を育てるのであれば私は都会を選ぶのだと思う、彼らにとっての選択肢とは我々が現在受け止める以上に、はるかに重要で貴重なものであるはずだから。