ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

大学入学?の話

法学部生になった。大学に入学した。

なんだこいつ、去年のこの時期も大学院に入学していただろって感じだが、上述の通りである。正確には科目等履修生だから入学かと言われると少し怪しい気もしている。

 

慶應大学通信課程、法学部甲類。この選択が私の研究テーマに関するかはいまいちとしても、根本の問題意識としての科学技術の社会適用について、社会の仕組みである法学を体系的に学びたいと思ことをきっかけで法学部を選択した。

もともと慶應通信を選んだのは二重学籍が可能であるからだ。だから本当は昨年の秋か、この春に入学するつもりだったのだが、現在通っている大学院が二重学籍はダメだというので、仕方なく科目等履修生になった。正課学生でなければいいらしい。

私としては法学を学びたく、かつそれを客観的にもわかりやすい学歴という形で保持しておきたいと考えていただけなので、正直なところ今年に正課生になれない時点で、慶應通信ではなく中大の科目等履修生になればよかった。

まあそこまで考えていなかったので、以前まで調べたままの慶應通信に"挑戦"することになった。が、アホほど卒業難易度が高いらしいので少し覚悟はしている。というかコストを考えても可能性を考えても、中大がよかった気もする。まあ今更仕方ないし、来年の入学願書には「卒論書きたかった」アピでもして乗り切ろうかなとか思っている。

一応科目等履修生として入学した目的としては、来年度以降に入学するための準備。かつ、社会人ではスクーリングが難しいだろうから、学生で夏休みがあるうちに履修したらええのではとの考えである。

 

 

慶應通信というと、皆スクーリングや卒業の話ばかりしている。三田のスクーリングに参加したとか、どれだけ卒業が難しいかだとか、確かに正課生として重要なものはその二つであるだろう。が、私が知りたいのは科目等履修生であった。しかし、全くと言っていいほど情報がない。そりゃ、通信大学の科目等履修生なんてだれもならないだろう。だって、通信大学に入る人の幾らかは目的が大学卒であるだろうし、ただ学びたいだけ(学歴を求めない)のであれば大学に頼る必要はなく書籍だけで十分だからだ。つまり、なぜか大学に金を払って学位をねだらない人間か、計画的に準備期間にまで金を払う人間の二種類しか科目等履修生にならないのだ。情報がないのも当たり前である。

 

ということで、このネットの海にほとんど情報の無い慶應通信法学部甲類の科目等履修生について、書き残しておこうと思う。

 

 

出願ログ

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2024/03/上旬    飲み会後の電車の待ち時間40分!を使ってインターネット出願の登録


2024/03/上旬    案の定、学歴に間違いを発見(大学院入学が生年になっていた)ので、窓口に電話をかけるも、平日10:00~11:30、13:30~16:30?しか受け付けてないとのこと


2024/03/中旬   電話をして登録内容に誤りがあった旨を伝えると、「どこに間違いがあるか」「選考料の支払は済んでいるか」を聞かれた。おそらくこれで支払済み出なければもう一度登録し直せと言われたのではないだろうか。結論としては、書類に二重線で訂正を入れればいいとのこと。その通りに訂正し、同日中に書留で郵送、翌日到着予定


2024/03/中旬    マイページ上の出願状況が出願確定へ変更された事を確認


2024/03/29    午前のうちに登録したメールに「合否結果が出た」との連絡あり。結果自体はマイページにログインして確認しろとのこと。合格。まあ科目履修生だし当然か。なおスクーリング科目を含めて、申請した10単位中10単位を受講できそう。とにかく9万円入金しろとのこと。振り込みはネットバンキングでもいいらしい、うれしい。ただ、住民票や自分と保証人の署名などの紙の書類を簡易書留で送らなければならない様だ。


2024/04/01    書類提出(住民票(世帯主との続き柄有、マイナンバー無)と誓約書)の郵送(簡易書留)と学費等納付金の振込を完了。確認でき次第諸々の郵送が実施されるとのこと。

 

2024/04/16 簡易書留で学生証と登録完了書、学内サービス案内などが送られてきた。テキストなどは後日宅配便で来るらしい。

 

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以上

 

大体こんな感じ。書類提出以降、向こうさんからメール一通すら来なかったので、本当に手続きができているのか怪しくなり不安だったのだが、大丈夫だったようだ。

 

後は送られてきたモノのうちいくつかを写真で紹介。なお、ちょくちょくバグっていたりするように見えるのはwindowsの標準機能で個人情報をマスクしたためである。なんか、消去?削除?みたいな名前で、範囲を選ぶと背景に溶け込ませるように編集してくれる。

合否通知書

29日の合否通知書。出願のページから手続き書類と一緒にダウンロードできるようになってる。この時からもう「君」呼びとなるみたい。

 

 

封筒

ちょっと宛名を丸ごと消してしまったのだが、さすがに封筒では「君」ではなく「様」だった。

 

 

名前

と思ったらなぜか、学生証ウラに貼る有効期限のシール台紙では「様」付け。

 

 

学生証

学生証はふつう。科目等履修生と(通信教育課程)の文字が入っているものの、学籍番号もしっかり与えられており(当然)なんか学生って気分。まあ大学院生なんだけど。

左側には写真顔写真、その下には何かのバーコードが入っている。何用なんだろうか。

 

学生証ウラ

裏には「シールを貼ってください」と書いてあるのみ。先ほど出てきたシールを貼って、それが有効期限などを示してくれるらしい。

 

 

私の記憶が確かなら、以前このブログのどこかの記事で、「大学院の副専攻を履修するか科目等履修生になるかで悩んでる。金がかからんから副専門がええか」見たいな話しをしたと思うが、結局両方やっている。

私自身暇になると自己嫌悪が始まるタイプの人間であるから、忙しい状況を作れるのなら忙しくなるようにしている。まあそのせいで修士二年なのにいまだに週に8コマ程授業に出なければいけないし、夏休みもスクーリングに吸われることが決定したのだが、まあいいだろう。

 

ああ、大学院に進学し時にお世話になった先生に言われた言葉が未だに引っかかっている。「大学院まで行って、勉強が好きなんだな」と。

先生は良い意味で言ってくれたのだとわかっている、わかっているのだが正直なところ勉強は嫌いだ。私は副専攻を取ったり科目等履修生をやったりしているが、勉強が嫌いである。嫌いなんだ。嫌いだからこそ、私は自分を信じるために勉強をいやいややるのである。私は勉強にコンプレックスがある。それは私が勉強が嫌いで勉強ができないからだ。だから私は勉強ができるやつを心底尊敬している。つまりだ、私にとって「尊敬されるやつ」の要素の一つに「勉強」があるのだ。ならば必然的に立派になるためには勉強しなきゃいけない。この強迫観念は、ある種の自傷行為的なものなのかもしれない。私は、私の理性を確かめるために、私自身に勉学を強いるのだ。

 

急にバッドが入ってしまったが許してくれ。私はただ、凡人になりたかっただけなのだ。凡人が努力すれば秀才になるように、劣等を感じる私は努力して平凡になりたかったんだ。

 

テキストが届いたらまた追記したいと思う。

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追記

テキストが届いた(2024/04/17)

諭吉ボックス(と言うらしい)

手元にあったマッキーを乗っけたので、伝わるかもしれないがそこそこ大きい。私はテキスト科目一つとスクーリングであるからもっと小さいと思っていた。

 

大きい本

まずは箱と同じサイズの大きい本が三冊。しかもみんな分厚い。2~3センチはある厚さが三冊である。重い。

 

 

薄い冊子

打って変わって軽い冊子。科目試験の問題をつけてくれるとは意外だった。慶應通信では、課題レポートと対面試験の両方によって成績評価が為されることが一般である。みんなレポートが難しい難しいというのだが、文字を書く私にとっていくらでも時間がかけられるレポートよりも科目試験の方が心配だった。しかし通信だから先輩に過去問もらうとかもできないし...とか思っていたら送ってくれるのね。うれしい。

 

 

テキスト

これを公開すると身バレ(事務員のみ)するのだが、私が履修した唯一のテキスト科目は法哲学である。なら最初から法甲に入れよって感じなのだが、私としては法とは何であるかという観点を得ずに法を学ぶことはできないと思っている。私の関心事は原子力産業における法整備と言うよりも、新技術に対して法整備とはどうあるべきかの様な少し法哲学寄りの内容である。

どうやら科目等履修生として修得した単位は、正課生として入学後のGPAには反映されない様だ。ということで、まあ慶應通信とはどんなもんかというお試しとしてレポートやらをやってみたいと思う。

 

レポート

その問題のレポートがこちらだ。これもやけに分厚い。いつからか知らないが、現在はword形式で電子データでもレポート提出ができるようになったので、私がこのレポート用紙たちを使うことはないだろう。しかしながら、ワープロ用紙としてわざわざコピー用の白紙(といっても名前を書く欄などが付いてる)まで用意するとは、あまりに周到である。

 

チラシ

最後のチラシや明細書である。通信教育課程学生にまで推奨PCを売ってくれるのは気が効いているのだろうか?PCに詳しくないのでわからない。

 

 

ということで以上が諭吉ボックスの紹介である。どうやら下旬に入学式が行われるらしいが、科目等履修生も参加できるのかしら。参加しても気まずい気もするし、でも来年の正課生入学(するつもりでいる)の時は新入社員で行けるかわからんし、行っておくべきな気もする。悩ましい。

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Sony α-700の購入

新しいカメラを買った。

バックル

というのも以前から言っていたように、元々愛用していたKonicaMinolta α-sweet Digitalが故障してしまったからだ。

カメラは点く、点くのだがシャッターが切れない。正確にはシャッターボタンを押して反応もするのだが、いつまでたってもフォーマットが終わらない。

初めて購入した一眼レフカメラであるし、私にとって唯一のデジタルカメラであるから、愛着も必要性もあったのだが、まあ20年ほど昔のカメラなのだから仕方ない。今更修理なんてできるものでもないのであきらめていた。

 

ということで新しいカメラをずっと、ここ半年ほど探していており、購入したのが今回のカメラ、Sony α-700である。ちなみに、前回挙げたスウェード靴の記事に登場する写真も本機を利用したものである。

ちょっと撮影できるデジタルデバイススマホしかないので、適当な写真で失礼するが、外見はこんなものである。肩に輝くαの文字と、マウント部分のオレンジのリングがまぶしい。

Sony α-700

勿論中古の個体なので綺麗な状態とは言い難いが、これまた15年以上前に発売されたカメラであるからこんなものだろう。中古で1万円ちょっと。安い。

素数は1224万画素なので、だいたい一昔前のiPhone、あるいはiPhoneの内カメラを想像して頂けたら同じである。奇しくも、上に挙げた外観写真はiPhone SEでの撮影であるから、今回の二枚の写真はおおよそ画素数は同じくらいのはずである、が、カメラの仕組み・画素の仕組みを理解していないのでよくわからない。

 

私が未だに古のカメラを購入する理由としては、画素数を求めていないこと、競争から降りること、レンズを有効活用することの三つが主な理由だ。

一つ目の画素数について、以前から語っているが、正直なところ私にとって以前の愛用機であるα-sweetの610万画素で十分だと思っている。というのも、現代人は大抵スマートホンで写真を見るし、大きくてもPCが妥当である。アマチュアもアマチュアな私の写真は、大きなディスプレイに映ることもなければ引き延ばして印刷することだってほぼあり得ない。だからこそ、画素数なんてある程度でいいと考えている。

また、二つ目はややつながるが、競争から降りるという目的がある。先ほどの画素数の競争、価格の競争、性能の競争。私にとってはあまり魅力を感じないのだ。まあこれは金なし学生の僻みかもしれないが、なくてもいいもので競いたくないのだ。あるいはむしろ、画質という競争から降りることによって私は良い写真が撮れないことの言い訳をできなくなることが重要だとも思っている。

三つ目が当たり前の話で、レンズ資産といっても資産って程は持っていないのだが、以前購入したレンズはαマウント。これを活用するためには同じマウントのカメラを買う必要があり、コニカミノルタの発売したカメラ(デジタル一眼)ではα-sweet digitalとα-7 digitalの二機のみ。まあほとんど同じ種類のカメラであり、ちょっと雰囲気を買うためにはSonyに行った方がよいだろうとのことで、本機体を選択した。あとは価格だよね、安い。

 

そんなこんなで、購入から一週間が経ったのだが、未だ撮影会に出掛けていない。どうも就職活動とやらが邪魔をして、良い時間を設けられないのだ。さすがに今月中には恒例の公園あるいは高尾山くらい伺いたいものである。

スウェード靴の購入と手入れ

スウェード靴を買った。

正面

逆光写真なのでやや写りが暗いが、そこそこ良い靴である。Partireというイタリアのブランド靴らしいが全くと言っていいほど情報がない。靴本体を見る限りはまあ可もなく不可もなく、どころかそこそこ良い靴(二回目)なので、数年前なら3,4万くらいの値付けで売られていたのではなかろうかといったくらいだ。

 

靴。私は革靴を偏愛しており、スニーカーは4足、革靴は14足程度持っているのだがそのほとんどは黒色だ。理由としては茶色の鞄を持っていないから、ということになるが、もう一つ、茶靴は色の好みが難しくかつ安さが出てきやすいので、良い靴を見つけられていないというのが答えとなるだろう。

しかしながら、黒靴はあまりにビジネスあるいはフォーマルに寄りすぎるのだ。日常に使う黒靴はオペラやローファ、サイドエラスティックなどの紐無しばかりとなってしまう。それでもいいのだが、あまりに単調でつまらないということで、スウェードの紐靴がやってくるのだ。

が、これを見て欲しい

コバ

 

ヒール

側面1

側面2

写真からわかるように、状態が良いとは言い難い。特にコバの削れや色褪せ、靴紐のヘタレ、局所的な色褪せなどなど。

そんなこんなで、こいつを手入れした話を書いていこう。

 

まずは...

水没

そう、洗いである。ほんとはこの手前にブラシ掛けで大きなゴミやホコリを取り除き、ヒールやコバはリグロインを用いて汚れやワックスを取り除いている。

このように丸洗いすると中のコルクや中敷きに悪影響があるとのことであるが、まあ自己責任。あんま高い靴を丸洗いしようとは思えないが、これくらいの靴ならいいよね。

使ったのはM.モゥブレィのスエード用丸洗い洗剤 スエード&ヌバックシャンプー。スポンジで泡立てて、ブラシでこする。結構汚れが落ちた気がする。これを使ったことによって寝てしまった毛はある程度回復したか。

 

その後は乾燥。

乾燥中

なんか100均で買ったアルミラック(足なし)にのせサーキュレータで冷風を当てる。スウェードは乾燥が早いのか5,6時間程度で乾いた気がする。この間、中にはキッチンペーパーを詰めたりと型崩れを防ぎつつ、4時間時点でデリケートクリームをインソールに入れたりとの手入れをしている。乾燥させつつコバを紙やすりで平らにならし、コバインキ、ワックスで整える作業も行っている。

完全に乾ききった後に同じくM.モゥブレィのスエード用 無色 保革・防水(防汚) スプレーを使って栄養を入れ、その後にサフィールの スエード靴用 着色 防水 スエード&ヌバック スプレーで黒色の色落ちを補った。あとはブラシをかけ、ライターで軽く炙って長い毛を燃した。

 

最後に靴紐をガス平に交換して...

手入れ後_正面

手入れ後_側面

手入れ後_靴紐

こんな感じである。写真だと伝わりづらいと思うが、だいぶ印象が違う。まあここまでやらなくても、コバをやすってインキを塗り、カラースプレーを吹きかけるだけでだいぶ良くなるとは思うが、丸洗いまですると清潔感(印象)がだいぶ異なる。

 

こうしてスウェード靴を手入れしていると、やはりスウェードが好きなんだなと実感する。私の手持ちの内、スウェードがあるのは4足であって、ほとんどはスムースレザーなのだが、スウェードは良い。スムースレザーの方が手入れの頻度が高く、手入れ好きとしてはうれしいのだが、あんまり手のかからないスウェードは、いざ手入れをしたときにいっそう楽しく思われるのだ。

 

とまあ、革靴についてあんまり語っても仕方がないのでこの辺で終わりにしたいと思う。

熱からの回復と一考

まいってしまう。

 

二年前のコロナ以来の38℃を超える発熱。インフルエンザなのかはしらんが4日間も発熱が続き、未だに空咳に襲われている。昨今は発熱に対して仰々しい対応を行わなけばならず、ふと病院へ掛かろうにも大きな壁として私の足を遠のかせる一つの要因となった。

結果としては、(普段は)全くの健康体で生きる私がわざわざ病院のリソースを喰わずに済んだのだから、構想者の想定通りであっただろう。

ものぐさな私は、わざわざ体調の悪い中電話をかけまくって、重い体を動かして病院へ伺うよりも、ただひたすら自宅で療養することによって回復をまった次第である。

 

私は一端の科学者であるから、どちらかと言えば病院というものを信仰しているし、薬なんかも、私なんぞよりもはるかに苦心をしてその分野を学習してきたであろう医師・薬剤師の方に敬意をもって、丸まんまその内容を信じ切って服用している。

だからこそ、病院に掛かることについては全く抵抗がないのであるが、どうにも、自分自身が風邪をひくとそうでもない。心配性な家族はみな、「病院にいけ」というのであるが、特段持病もなく、体力だって有り余るような二十代の若者である私は、わざわざ病院へ伺って、他人と共にリソースが供給されることを待つことよりも、ただひたすら自分の体というものを信じ切って経時を過ぎることの方が容易であるのだ。

 

きっとこういった態度が極端に表れてしまった場合に慎重派(婉曲表現)に至るのだろう。私はもともと、科学主義の様な態度をあまり快く思っておらず、一端の科学者であるそれよりも以前に感情に重きを置くような人間でありたいと思っていた。

誰の言葉かは知らないが、精神患者にとってその妄想とは現実であるのだという。至極その通りではないだろうか。そして精神患者にとっての妄想が、彼(女)にとってのみ現実であることと同様、私の中だけでは、私の認識こそが現実なのである。科学の認識を持つものの中では、科学が現実であるし、非科学の認識を持つものの中では非科学こそが現実である。

私は、このような考えこそ現実問題への対処を行う根幹に資すると考えている。受け入れることからしか物は始まらないのだ。以前も言ったかもしれないが、大抵のものに関して、その賛成派も反対派も根本の志は同じであるのではないか。誰もかれも、良い現状の維持か、よりより環境の整備を志している。しかしその手法が異なるからこそ対立が起こるのではないか。つまり、意見の対立が起こったとしても、彼(女)が考えの根本に置く善良性のみは、受け入れてやるべきだと考えているのだ。

 

尤も、現実問題には根本思想が善良であれど、その先の言動が客観的に悪質な場合もあるのだから仕方がないのだけれど。

 

 

感想1

いつもながら、きょうのブログに拙稿が取り上げれられたのでこすった話を書こうと思う。

 

前回の「スーツ購入の話」はかれこれ1年ほど前に8割書いた記事に、残り2割の終わりに向ける文章を追加して公開した内容となっている。私は思い付きで文章を書き始めることも多いので、そういう場合には内容が発散したまま、オチをつけられずに放置することが多い。実は非公開となっている記事の多くはそのような状態で、上手く終わらせられないからそのまま手つかず、数か月に一回見直すけどやっぱり続きが書けないとなっては放置を繰り返している。

 

そんなこんなで1年ほど放置されたスーツ購入の話をなぜ書ききって公開したのか、なんて言われても理由なんてないのだが、しいて言うのであれば自分の文章を公開してフィードバックを得られる場所が欲しかったからかもしれない。

まま、私はコンペディションに応募するのであるが、先日ある超超超・小規模のコンペで入選との連絡がきた。まあそんなもんだろうと思っていた文章だったので、結果自体に文句は一つもないのだが、そのコンペにおける入選とは、名前だけ公開であって、文章は一文字すら乗っけてもらえないものである。

それがなんだか残念で、せめてフィードバックが得られるような方法にしてくれなければ書いた甲斐もないと悲しく思い、その感情を晴らすためにブログとして放置していた原稿を書ききったのだ、と一つ説明できるかもしれない。

まあこんなのは後付けの理由なのかもしれないが。

 

ちなみに、私個人の趣味でいうと「スーツ購入の話」はあまり自分らしいものではないと思っている。というのも、私の文学の趣味は三島由紀夫だとかのさっぱりとした内容のものであって、あんまりべたべたとしたような修飾満載の文章を好んでいない。

それこそ、

それは、夜空の様な深い青色をした肩である。朝焼けの様に赤いのではなく、もっと蒼い、深夜の様な色であった。

鈍い輝きを湛えたを衣を裏から支えると、水の表面にとどまる油膜のように滑らかに彩を変える。

みたいな文章って言うのは好まないのだ。じゃあなんでこんなのを書いたのかって言うのは、明確に覚えている。宮沢賢治の「カイロ団長」。ちょうどこれを読み直していた時に、なにか引っかかる文が一つあったのだ。それは自棄に脂ののった、胸焼けしそうなくらいに修飾された文章であって、私のなかの宮沢の印象とは全く異なる一文であった。

ただ、今しがた「カイロ団長」を読み直すと、そんな文章は見つからなかった。でもたしかに、私が文章を書こうと思い立ったお話と全く同じであって、なんだかちょっと腑に落ちないのであるが、まあとにかく、それがきっかけで偶にはしつこいくらいの表現を繰り返すような文章を書こうと思ったのが、先ほどの様な文章たちである。

 

が、結果としては私のスーツに対する思いのとかを書くこともできたし、そこそこの人に見てもらうような記事になったということで、よろしいのではないだろうか。

以上

スーツ購入の話

スーツが好きだ。

だからイトーヨーカドーでスーツを買った。

 

 

これは、多くのスーツ好きから見れば訳が分からないだろうし、私にも意味が分からない。おそらく大抵のスーツ好きはヨーカドーやイオンといったスーパーで売っている衣類をスーツだとは思っていない。スーツの形をした別のナニカだと思っているだろう。私もそうだったし、今でも革靴については同様に考えている。

が、今回買ったスーツは違う。明らかに違った。

 

 

久しぶりに立ち寄ったいくつかの路線が交差するそこそこの駅。待ち合わせまであと2時間もあり、駅ビルだけじゃあ潰せなかった。仕方なく町を歩いていると視界の端にヨーカドーが入る。よくあるタイプのヨーカドー、伺うことにした。

私はスーパーでは必ず紅茶とコーヒー、輸入菓子を見る。そのヨーカドーは対して面白いものがなく、通常ならそこで帰るところだ。しかしその日はあまりに時間があった。

「そうだ、紳士服売り場でも見るか」

普段はあまり立ち寄らない紳士服売り場に私は向かった。

 

目的はポケットチーフである。ポケットチーフ、記憶の中ではシルクを2枚、リネンを3枚購入したはずだが、なぜか手元にはどちらも1枚ずつしかない。すぐ失くすからその度に買い直している。

チーフ売り場には望み通りの白いリネンのチーフがあった。よく見ると端はロックに見えるし、なんか生地が微妙、でもお値段500円だ。ないよりかはましだろうと思い手に取った。

「さて、レジに向かおう」

と思った矢先に目に入ったのが Good suit, Good price の文字だ。こんなところにスーツなんて売っていないだろうと思いながらも、時計はまだ余裕を告げる。

 

「とりあえず端から見ていくか」

10,000円を切る価格のスーツを眺め、やはり自分は間違っていなかったのだと確信した。けれども時間が許すのだ、あまり広くない5列くらいの棚なら余裕で全部見られると思った。そして一つ、また一つと流れるように見ていくうちに、信じられないものを発見した。それは、夜空の様な深い青色をした肩である。朝焼けの様に赤いのではなく、もっと蒼い、深夜の様な色であった。

右手でハンガーを取り、節電の所為かやや暗い店内照明に当てる。やはり見初めたものは間違いではなかった。鈍い輝きを湛えたを衣を裏から支えると、水の表面にとどまる油膜のように滑らかに彩を変える。もちろんその生地の柔らかさは言うまでもなく、しなやかに力を伝えていた。その胸ポケットにはイタリアンファブリックの文字がかかっていた。

 

ラペルに目をやると、そこまで悪くはない。やや控えめといったところだろうか。だが、初めに見た10,000円のスーツのように紙のように固い質感ではなく、接着ではあれど柔らかく、陰影を湛えるウール地。不可もない、それどころか良いではないか。青焼きされた鉄のように、鈍色の上に青を透かしたような重い質感。そこそこの柔らかさと構築感を持った仕立て、さてお値段はとさぐると、たったの2万円であった。

もちろん、学生に2万円は重すぎる。しかしながらこの生地にこの仕立てなら良い選択肢だ。Good suitsとは過言でなかった。生地はCerruti。イタリアの五大ブランドに数えられるそこそこの歴史をもつミル (かつてはNino Cerrutiというラインをかつて持っていたはずだが、現在は生地の卸のみ?今あるCerruti1881のネームは現在中華企業が持っており、Cerruti自体がブランドを持っているかは私も知らない。) であり、名前負けも質感負けもしていない丁度良いクオリティである。

正直、ツープライスショップよりもはるかに良い選択肢で (おそらく大抵のスーツ好きはry )、そもそも高級スーツなんて買えない学生にとっては、1.5軍くらいのスーツとして良いと思った。というか私は構築的なTimothy Evelestのスーツが大好きで、中古品ではあるがネイビーのものを三着所持している。その他に持つスーツもブリティッシュスタイルのがっしりしたものが多い。手前味噌ながらこれらは非常によいスーツであるが、Too muchなのだ。あまりに良いスーツを、20を少し超えた程度の若造が来ているのはあまり良い印象ではない。それこそ、一般公衆に紛れる為には、私なんかにはツープライスやデパートの企画品くらいが適切である。

 

なんてところで問題を発見する。それはサイズだ。私はAY (YA) の5くらいが適正サイズで、今回発見したのはA7。あまりにでかすぎる。許容範囲はAY5かA5のどちらか。私は良いものは良いと言いたいし、それが安かったとしても自分の目を信じていたいと思っている。だから、このひとめぼれは私にとってそれなりに重く、可能であれば手に入れたいと思った。

 

そして冒頭に戻る。だからヨーカドーでスーツを買った。そのヨーカドーは先ほど訪れた場所ではなく、もっと地元にある別のヨーカドーだ。どうしてもあの日見たあのスーツを忘れられなかった私は、地元のヨーカドー (おそらく移動可能範囲には5店舗ほどある)を2つ廻って手に入れた。一つ目のヨーカドーを回っていると店員さんに

「何か探しているものはありますか」

と聞かれ、それがイタリアンファブリックと書かれた云々というと、

「今はやってないのよ」

と言われてしまった。何とも頼もしい。必要最低限の意思疎通でもって、早くも2店目へ向かうことが義務付けられたのだ。

2店目は行ったことのないヨーカドーだった。そのほかの商業施設も立地するその場所ではヨーカドーはあまり賑わっていない。自転車を止め中へと入ると、節電のためかやや薄暗い店内が迎えてくれた。

この時点で私はもう勝利を確認した。

 

 

そして紳士服売り場でネイビーのスーツを片っ端から当たってゆく。一つ、また一つと肩を眺めながらヴィンテージ時計の針の色をした生地を探す。どうやらここにはないのかもしれない...と思い売り場を離れようとしたその時、通路沿いに設けられた展示棚にその色が発見された。私は自らの目を信じているから、一目見てそれだと思った。というよりも、もし違ったとしても、この別の商品も同様良いものだろうと考えたのだ。

サイズはA5、良いとは言わないが及第点を外さない。周囲を見渡しても店員はおらず、レジの女性へと声をかけると、ご自由にどうぞと言われてしまった。これこそ、デパートの醍醐味であり、店の所有物を勝手に客が持ち歩くことを誰もとがめはしないのだ。

 

サイズは想像通りであるが、規格ものであってやや身幅が広い。まあ直してもらえばよいだろう。そんなことを思いながら柔らかに光を湛える生地に今一度惚れ直した。程よい深さ、というのだろうか。あまり明るいネイビーはネットによくいる何をやっているのかわからない社長の様で嫌だし、かといって暗すぎるものもそれはそれで難しい。

私は気に入ったそのスーツを手にすぐさまレジへと向かった。店員は

「裾のお直しはどうしますか?」

と聞いてきたが、そのヨーカドーは自宅から自転車で1時間。先ほど気になった身幅詰めと一緒に行きつけの直し屋でやってもらおうと断ることにした。たった2万円。それだけでこんなに良いスーツが購入できるのかと、あらためて"スーパー"マーケットの偉大さを思い知った。

 

 

 

それがかれこれ一年くらい前だろうか。

ちなみにお直しには身幅詰めと裾直しで8,000円くらいはした気がする。合計2.8万円だがそれでも安い。なぜなら安い安いと言われるツープライスショップですらCerrutiは5,6万円はするのだ。それが2万、驚愕である。

この記事はスーツを買った当初に書いたものだが、現在ではヨーカドーが衣料品部門から撤退との報道が為されている。今の内しか買えないのかもしれない。

ちなみにこの一件(ヨーカドーでスーツを買った件)のせいで、今では大型スーパーに行く度に紳士服売り場でスーツを見なければ気が済まない体になってしまった。これまた自転車で1時間半程度の商業施設にもスーツを見に行ったりしている(もちろん運動がてら適当な距離にあったからであるが)。ここでも一本だけよいスーツがあった。

 

なんやかんや言って、ツープライスショップよりもよいものがある気がする。今日もいくつか駅ビルに入っているスーツ屋を見てきたが良い生地(私はネイビーの無地しか興味がないので他の色や柄はしらん)のスーツはどれも5万円はくだらない。さらにはヨーカドーのスーツよりもラペルが硬く、あまり良いものだとは思われなかった。

ただ、スーパーマーケットでスーツを買うのは基本的にはスーツに興味がない人であって、あまりいいモノがない。これは矛盾ではなくて、明らかに良くないものが多数ある中で、ごくまれになぜかアホほどよい物品が混ざっている。一方で、ツープライスショップは、確かに良いスーツが入っているが、それはあくまで5万や6万を超えるフラッグシップモデルであって、通常の価格のスーツは大してよくはない。

 

ってことなので、もしもあなたがそこそこ安価で、それなりに良い(生地の)スーツが欲しいと思うのならば、行くべきは〇山や〇木といったツープライスショップではなく、ヨーカドーやイオン(見ている感じイオンはそんなに良くないかも)などの大手スーパーだ。あとは地元特有の大型スーパーである。

ただしこれは、黙ってMサイズを買えば体にぴったり合うようなあまりにも標準的な体系を持つ私の場合であるので、誰しもに言えるわけではないのかもしれない。また、スーパーのスーツは身幅が広めなこともあって、若い人向けではそもそもない気もする。

ちなみに私はスーツを買うときは+10,000円を払ってお直しをしてもらうつもりで買っている。こんなのはあくまで、スーツに娯楽性を見出している私の様な変人が、面白がって購入する程度の話なのかもしれない。

 

あまりに語りすぎた。この記事は出だしが重すぎて、なかなか先に筆が進まず、尻切れトンボであるとは思うのだが、あとは将来の自分にまかせて、明日も就活があるので筆をおこうと思う。

 

 

オレンジ

靴下

昨日の私は油断をしていて、あまりにも適当な恰好をしてしまった。早朝のアルバイトをしているが故、朝には余裕がないことが多い。

いつも着る服、その中でも適当に纏ったとしても温かいものがうれしい。最近は、起きた直後に口にする水(前の晩に汲んで枕元に用意してある)すらも冷たくて敵わない。

そんな調子だから靴下なんてとてもじゃないけれど選ばれない。だから昨日は白黒ボーダーの適当なソックスを履いていた。なのに服は白でも黒でもないし、あまりにもあんまりなその格好に、午後に電車に乗り込んだ後にはすっかりと滅入ってしまったのだ。

 

本当は、卒業見込書を発行したかったのだけれど、どうやら卒業年度しか出せないらしい。

 

 

目的も果たせず、ただ帰ってしまうのもしょうがない。せっかくの休日なのだから寄り道でもしようと決め込み、百貨店へと向かった。その理由は単純で、以前いただいた百貨店共通券が使い切られないからだ。私は未だに学生の身分だから、百貨店のお客様ではない。それなりに服飾費を費やす方ではあるが、百貨店で衣類を買いそろえるかと聞かれれば間違いなくいいえと答えるだろう。

ただ、最近はベルトが欲しかったりしたから、ちょっと売り場を覗くことにした。

なんだかんだ合って、結局購入したのが冒頭の靴下である。

オレンジ

私にとって特段好きな色でも嫌いな色でもない。ただ、稀に着用するダウンジャケットや靴箱の形をしたナイキのバッグが、非常に明るいオレンジ色をしており、それらを拾う事の出来る靴下をかねてから買おうと思っていたのだ。

こんな馬鹿みたいに明るいオレンジ、常人はあまり買わないのだろう。セールで半額くらいに投げ売られており、物好きの私としてはうれしい限りだ。

ちなみに、最近写真の掲載が少ないのは、愛用していたKonicaMinolta α-sweet Digitalが故障してしまったためである。故障といってももう20年ほど昔に発売されたカメラであるから、直しようもないし、あきらめて次のカメラを買うべきなのだが、なかなか選ばれないでいる。やっぱソニーかなあ。

閑話休題

 

寒い時期、多くの人々は真っ黒なダウンを着こんだり、暗い色合いで街を闊歩する。だからこそ、私は馬鹿みたいに明るい色を纏って街を歩くのだ。

私は、私だけは底抜けに明るい様子で生きていきたい。暗い色をつまらないと断ずるつもりは毛頭ないが、馬鹿が馬鹿みたいな恰好をしている方が面白いとは思わないだろうか。

気が向けば、ちょっと面白い(可笑しいわけではない)恰好で外を歩いて欲しい。その方がきっと町中が明るくなるだろうから。