Living in a material world
And I am a material girl
最近初めてしっかりとmaterial girlを聴いた。なんとなく曲を聞き流したことはあったはずだが、まじまじとその曲を聴くことは今回が初めてであったのだ。てかこれシンディーの曲だと思ってたのにマドンナだったのか。
'84のシングルが初出の曲で、あそび盛りの女の子が「退屈な日々なんて送りたくない」と歌う曲だ。
サビで出てくるのが冒頭の引用だ。これは、
私たちはマテリアル・ワールドに住んでいて
そして私はマテリアル・ガールなの
とでも訳すべきだろうか。
たしかに、この世はマテリアル・ワールドだ。いたるところにモノがあふれ、それぞれが私たちの目を耳を、舌を楽しませる。そして私たちはモノの虜になり、貪欲に追い求めるようになる。それをマテリアル・ガールと表現しているのだろう。
実際私はこの歌詞の通りだと思っている。私は物欲だらけで新年早々F2カーゴパンツや要りもしないティポットを購入し、今月はリュックを買ってもうなにも買わないと決心したはずなのに、結局ボタンブーツを買った。ああ、物欲物欲。
多くの人はもっと控えめな物欲であるとは思うが、それでも大抵の人間はマテリアル・ガールといって過言ではないだろう。そもそも、好き嫌いがあるそれ時点でモノにあふれている証拠である。モノが足りない状況においてはえり好みなんてする余裕はなく、与えられたもの、見つけたもの、手に入れたものを使っていくしかない。しかし、こと現代において、少なくとも日本においてはほとんどの人間に食の好みや服の好み、食器の好み、家の好み、家具の好み......が存在する。そしてこの好みこそが、その人がマテリアル・ガールである証拠といって間違いないだろう。
本当なら、いつものように和訳記事を書くべきなのであるが、そこまでの元気を今は持ち合わせていないので、こんな短文のみを引用してわざわざ語っている。
以前、ナニカの和訳記事でも語ったが、私が長々と和訳した曲の歌詞にコメントを残しているのは、引用と言い張るためである。もちろん、そんなことをしたところで何の保障にもなりはしないのだが、まあ願掛けである。
後は、単純に私が語りたいというのもある。文章を書くのは好きだし、何らかの歌詞を訳すときは大抵、その曲を大層気に入っているときであるから、語ろうと思えばいくらでも語られる。実際、Material girlのたった二行ですらこれだけ話したのだ。一曲まるまる訳せば、いくらでも長く語れると言って信じてもらえるだろう。