ヴェルレヌの詩集を買った。
フランスの詩人、ポール・ヴェルレヌ(ヴェルレーヌとも)。19世紀の人間で、所謂デカダンス、退廃的、つまり従来の価値観にはそぐわない、違和を根底に置いた観点から文学を紡いだ詩人だ。
私が手にしたのは新潮文庫から発行された堀口大學訳の『ヴェルレーヌ詩集』である。
ちなみに初版が1950年発行、私のモノはそれから26年たった1976年の発行だ。なぜわざわざこんなことを書いたかというと、データベースのためだ。
インターネットを用いて書籍情報を探したことがある人なら、おそらくこのページに一度はお世話になったことがあるだろう。そう、レファレンス共同データべースである。
国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースです。
上記の一文は、当該ホームページからの引用であるが、まあ詰まるところ、それなりに信用に足る背景を持ったページであると言いたいのだ。ちなみに、ツイッターではこのデータベースの更新情報を発信していて、様々な知識を得られるので、雑学おじさんの皆さまには是非フォローをお勧めする。
今回、私がヴェルレヌ詩集を購入したのは、もちろん、あの太宰治という男の所為である。
死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。
この文章は以前もブログで引用している。あまりにも有名で、あまりにも太宰治な冒頭。『葉』というエッセイは太宰治ライトユーザーにお勧めで、ほんの15分でもあれば全て読めるし、太宰という男を多大に反映しているため、これさえ読めば自分と太宰文学との相性が丸わかりになる。
さて、先ほどの引用を私は"冒頭"といったが、正確には違う。この"冒頭"の前にはヴェルレエヌとされる人物の引用が付されている。
撰ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり
ヴェルレエヌ
そしてこれが先ほどのデータベースと関わってくる。当該ページがこちらだ。先ほどの太宰の引用は、果たしてどこからの引用なのかという質問に答えている。
このページにの回答では、
『葉』の冒頭にヴェルレーヌ(ヴェルレエヌ)の詩の一節「撰ばれてあることの / 恍惚と不安と / 二つわれにあり」が引用されている。
堀口大学が訳した詩「智慧」に引用された文がある。
とある。
しかし、私の持つ『ヴェルレーヌ詩集』(原文ママ)ではp128は「智慧」ではなく「無言の恋歌」である。何が起こっているのだろうか。おそらく、これは発行版による構成の差異に起因するのではないだろうか。
本稿では Verlaineの名前を基本的にはヴェルレーヌとしている。しかし、『葉』やデータベースで『ヴェルレエヌ』という表記であればそのまま使っている。後者の方が古風な表記であると言って異論はないだろう。また、私の持つ『ヴェルレーヌ詩集』の奥付には昭和48年(1973年)に第三十四刷改版とある。さらに、あとがきでは、三十四刷の追記として新約30余篇を追加したと書かれている。
つまり、これにより全くリファレンスのページが参考にならなくなってしまったのだ。
私は未だアカデミアに身を置く学生であるため、リファレンスにはやや気を使っている。本当はこのブログだって、ウェブページからの引用には日付を、本からの引用はページ数までつけなければいけないのであるが、怠っている。しかし、さすがに論文やらレポートではしっかりしているつもりだ。
ただ、今回新たに学んだのが"版"の重要性だ。本稿執筆にあたりいくつかウェブで公開されている参考文献の書き方を調査してみたが、私の見た限りは、公に出版された本の版まで書けと言っているものはない。
しかし、版が変われば内容は全く変わってしまい得る。当たり前の結論を書くためにやたら長々と書いてしまったがこれが一番言いたいことだ。
私の持つ『ヴェルレーヌ詩集』では「知恵」(原文ママ、先ほどの引用では"智慧"である)は、p150から、該当の引用内容はp180にある。
選ばれ在ることの恍惚と不安とふたつわれにあり
(Paul Marie Verlaine, 堀口大學 訳(1950), ヴェルレーヌ詩集 , 新潮社, p.180 (ただし、1976年発行の第38刷を参照)
てかやっぱり参考文献の書き方分からん。そもそも、訳書だけれども底本が存在しない「~集」の場合はどう書くべきなのかしらん。分かればいい、それは間違いないがなんかルールくらいありそうだよね。フォーマルな場所なら。
ちなみに、散々書いているヴェルレーヌの該当引用は、知恵の二の巻、その八からであって、
ああ、主よわれいかにしてけん?あわれ、みそなわせ、わが主
(Paul Marie Verlaine, 堀口大學 訳(1950), ヴェルレーヌ詩集 , 新潮社, p.179 (ただし、1976年発行の第38刷を参照)
で始まる。
つまり、誰に選ばれたのか、というその答えはキリスト教的神である。現代語的には「ああ、神よ私はどうして(こうなって)しまったのだろうか?ああ、私をご覧ください、神よ」といったところだろうか。この"けん"は原因推量のけむであろう。
彼は服役中にカトリックに改宗したとされている[1]。本稿冒頭でも述べたように、彼はデカダンス的な内容を特徴にする。その価値観の根底にはやや不道徳的な人生を歩んだ背景が存在するだろう。そして獄中で改宗した。きっとその改宗は彼にとって天啓によるものであったのだろう。そこから、"神に選ばれ在る"という事実に快さをおもいつつも、それまで不道徳な人生を送ってきたことへの後悔を綴ったのではなかろうか。
私にはそう思われる。
以上が、引用文献表示についてと太宰によるヴェルレーヌの引用への解釈である。