ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

Discription

当たり前の日常を当たり前に語りたい。

私が目指す文章というのは、水のような文章で、いうなればそれはより口語的な文章なのかもしれない。でも、そういうとライトノベルの様な砕けた様子が頭に浮かぶのだけど、私にとってはちょっとカジュアルすぎる。まあ読んだことないんだけどね。

 

好きな作家に太宰治がいるが、彼は水の様な言葉を綴る。彼は、彼自身でもいうように「後に曳かない」文章を書く。それはまるで水の様で、ただただ体に入っては、そのまま流れて出てゆくのだ。三島も好きだが、あの耽美主義的な文章はやや疲れてしまう気もする。ただ本を読みたいときには太宰にする。太宰の本には碌な事が書いていないから、気取らずに読める。学ぶものがないのに面白い。それが太宰文学なのである。

 

 

今日は何をしてたかあまり覚えていない。普通に大学へ通っただけであった。

そういえば、私はいつも文章を書きすぎてしまう。それはこんなくだらないブログではなく、もっと大学の課題だとか計算だとかの話だ。

私は工学系なので、まま計算の課題が出る。そういった際には、もっと簡単に、小学生の用に答えてもいいのだが、私はつい書きすぎてしまうのだ。

まずは文字の定義。これは必要不可欠だ。どの文字を何の象徴として用いるか。これができない奴はそもそも工学をやるべきではない。最初から数字を入れる人間なんか、算数しかできないのかしらと思ってしまう。

とにかく文字を置き、そして必要な式を書く。これは教科書的な(覚えている形)の式を指していて、そこから、=で未知数を示す式へと変形させる。変形が終われば次元の確認だ。しっかりと文字が表す単位を書き、組立つつ未知数と同じ次元が得られるかを確かめるのだ。そして、正直言って単位とオーダー(答えが10の何乗のケタであるか)さえ合っていれば、細かい数字なんでどうでもいい。そんなものは計算機がやってくれるのだから、二、三回電卓をたたけば正しい答えが分かるだろう。

 

今日も大して回答欄は広くないのにもかかわらず、私は一生回答を書いていた。最後の問題が終わった人から教室を後にする中、一番最後は私だった。問題はとうに解けている。ただ、その数値を書くまでに、前段階が長いだけなのだ。

そんなこんなで、先日の試験も最後まで残った結果、計算間違いで点数が低かったりもしたのだが...

 

 

私はあまりニュートンの様な式を好かないのだ。どちらかと言えば、ガリレイの様な説明の方が好みである。

科学というと数値を取り扱うイメージを持たれるかもしれない。確かにそれは間違いない。数値は見やすいし、比較だって簡単だ。しかし、理解は簡単だろうか。私が用いる式を、私は理解しているのだろうか。もしも、微分方程式を単なる"式"によって理解しているん人間がそんな在するのならぜひ会ってみたい。私達は数値を理解することはできない。数値は意味を持たないからである。そんな数値に意味を持たせるのが単位であり、単位の付いた数値を求めるのが式である。式の理解に必要なのは式ではなく、言葉だ。物理学の論文は皆、式の説明が細かく行われており、数式だけ出す論文なんて存在しない。私たちは数式によって世界を単純化しているにすぎず、世界が数式によってあらわされているわけではないからである。

しかし、リスクについてはどうだろうか。私の専門の話だが、リスクは果たして科学足り得るか。数値を扱うその分野は本当に未来を見通すのか。数字の大小が何を表すというのだろうか。単なる証拠の一つに過ぎない数字が、果たしてリスク評価にとってどれだけの意味を有するのだろうか。

われわれ人間は、数値に弱い。それは数値を簡単に認識できても、簡単には理解できないからである。数値に特化していた理系の人間は話が別かもしれないが、少なくともそんな奴らは一般人ではない。

であるからして、リスク評価は数値を重視しすぎるべきではないのだろうか。確かに重要な証左になり得る数値は、客観を装うには尤もかもしれない。だが、それはすべてでもなければ正しいことを表すわけではない。天気予報による降水確率0%は、「これまで同じような大気配置になった時には雨が降らなかった」ことを意味する。それは、だから今日も雨は降らない、と語るわけではない。これまでは雨が降らなかったから、雨が降ることはほとんど考えられないだろう、とそれだけである。統計による科学は、過去を語るのみで未来を語るわけではないのだ。リスク評価なんて往々にして統計による分野であり、科学を科学たらしめる要件を満たしているのか疑問である。だって、統計の否定は過去事象のデータ分析の否定であって理論の否定には成り得ないからである。つまり、反証可能性を有しているのかも疑問である。

 

ああ、まとまらない。日常を1000文字書いて辞めるつもりだったが、気が付けばくだらない話をしていた。さすがに寝よう。今日ももう遅い(22時22分現在)