ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

絵本の話。

陰鬱とした日々が続く。

 

私は絵本が好きだ。初めて絵本を読んだのは...なんて当然覚えているはずもなく、初めて買って読んだ絵本も勿論記憶にない。大学に入って絵本を買い始めた。そのきっかけはやはりエドワード・ゴーリー(Edward Gorey,1925-2000)だろう。

 

もう肌寒くなってきたころ練馬区立美術館へ行った。『エドワード・ゴーリーの優雅な秘密』。いわゆる原画展というもので、あまり面白いものではない。だって絵本として売るために描いているのだから、その原画を見たってなにも代り映えはしないのだ。

彼は陰鬱な絵を描く。陰鬱な線が画面を埋め、陰鬱な言葉が並ぶ。ナンセンスな面白さが彼の絵本の魅力で、私はか細い線に憧れを持っているから彼が好きなのである。

 

中でもお気に入りは『敬虔な幼子』と『オズビック鳥』。オズビック鳥はもう以前に以下の記事で語っている。

taro0219.hatenablog.com

 

『敬虔な幼子』もいつか話した気がする。覚えていないけれど。

『敬虔な幼子』は、その名の通り、敬虔なキリスト教徒の幼い男児の話である。彼は教義を遵守し他人が教義を守らなければ指摘を行うほど"敬虔な幼子"であった。しかし、ある日彼は病気に罹り死んでしまう。その時彼は言うのである、「神様は僕を愛してくださり、僕の罪を全て許してくださいました。僕は幸せです!」と。

我々から見れば彼は幸せではない。だって教義を守り、幼いその身を宗教に捧げていたのにも関わらず、大人になる前どころか青年にすらならずに死んだのだから。しかし、彼にとっては幸せなのである。自らが正しいと思った通りに良き、それを守り続けたうちに死んだのだから(一応、罪を犯し後悔する描写もあるが)。そして、彼は死ぬことすらその宗教によって肯定することができたのだから。

 

ゴーリーとは大学一年の夏に、図書館でたまたま出会った。この『敬虔な幼子』を手に取り、そしてちょうどその秋に原画展へ行ったのだ。『敬虔な幼子』も買った。これが絵本を買い始めたきっかけの"一つ"である。

 

 

その他にも当時買った絵本がある。それが『いばらひめ』だ。グリム童話のお話だからこそ様々な画家が絵を描き、国内でも多くの本が出版されている。私が買ったのはエロール・ルカイン(Errol Le Cain,1941-1989)が絵を描いたほるぷ出版のものだ。この本を買ったきっかけはご存じさくらももこである。

さくらももこの『憧れのまほうつかい』。私は彼女のことを漫画家というよりもエッセイストとして好いており、エッセイ本を幾つか持っている。ちなみに漫画としては『コジコジ』が一番好き。アニメも全部見た。

 

彼女にとっての"憧れのまほうつかい"こそがルカインだ。彼の絵はたしかに魔法の様。しっかりと写実されたというよりも、どこかいびつで歪んだ情景。それでいながら細かいところまでしっかりと描き込まれた色とりどりのイラストは、異国情緒あふれるどころか異世界情緒にあふれているのだ。それこそ魔法のように。

それにお気に入りのポイントとしては文章のページだ。見開きの片方が挿絵、もう片方が文章のページという構成なのだが、文章ページには毎回異なる飾り額が描かれている。各ページのお話に合わせた額も多数の色にあふれ連続的で対照的なデザインであり、こういったところにも彼の拘りを感じる。

 

多分ゴーリーよりも前にこの本を買ったのではないだろうか。覚えていないけれど。

 

 

こういった絵本を買い始めてもう三年になるのだろうか。とはいっても10冊程度しか買っていないのだけれど。また、最近というか今年は絵本作家の企画展にいくつか伺った。世田谷美術館や渋谷のBunkamura、この間の立川PlayMuseumeのjunaida展だってそうだ。

私は冒頭にも書いた通り、そこまで原画展には興味がないのだが、junaida展は構成に惹かれたりと面白いことも結構あるし、なにせ美術館初心者をつれていくにはもってこいなのだ。絵なんてわからない。好きな作品を好きといい、嫌いな作品を嫌いと言えばいい。それにあれこれ理由を考えるのが美術だと私は思っているのだが、なにやら美術館とはそのハードルを上げてしまうのだ。

それが絵本作家の企画展なら気軽にみられる。それはイラストレーションだからこそ、隠されたい意図などほとんど存在しない。モチーフの意味くらいはあったとしても、象徴主義のように過剰ではない。

 

そして絵本も同じだ。絵や画集を買う人間はあまり多くないが、絵本を買ったことがない人間もあまり多くないだろう。絵本なんてと思われるかもしれないがそこには間違いなく作者の拘りが見られる。

散々話しているが、私はRosenthalの理念、"日常に芸術"をという言葉を信奉している。絵を買ったって仕方ない。非日常は所詮非日常でしかなく、美術館なんて言ったところでそれはただの経験の一つである。しかし日常は違う。絵本に限らず本は日常の類に存在するものだと私は思っているからこそ、その日常として絵本を手に取り、眠れぬ夜を共に過ごせばそれは単なる経験ではなく、もっと根本的に自分自身を作り上げる基礎になるだろう。

 

 

ああ、気が付いたら絵本の話をしていた。本当はただBADに入ってしまったので、厭に難解に現状の不安を書き綴る陰鬱な文章を書こうと思っていたのだけれど、あまりにも面白くないのでゴーリーの話をしていたらこうなっていった。

まあ結果は良しなのかもしれない。