ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

太宰治『葉』と、J・S・Millの引用による言集

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。 (太宰治, 葉)

このあまりに有名な書き出しは、本当に太宰治らしい一文であると思う。

本当はフランスの詩人Paul Marie Verlaineの以下の文が頭に引用されているため、書き出しではないけれど。

選ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり (ヴェルレヌ)

私には学がないからはたしてヴェルレヌのどの詩集のどの編からの引用なのかはわからない。いわゆる孫引きというやつだ。

 

私は太宰治の書く文章が好きだ。好きな作家を挙げるのなら、太宰治三島由紀夫大江健三郎だろうか。といってもあまり多読を行うわけでもなければ、ひどく気に入った文章を何度も読むわけでもない。気が向いたときに気が向いただけ活字を貪り、気が向いたときに気が向いただけ活字を綴る生活をしている。

 

自然な文章。太宰の文章は読んでいて心地がいい。彼は自身の考えを押し付けてこず、ただ淡々と流れる水のような文章を書くからだ。その一方で三島はやけにハキハキと文章を綴る。それこそが三島の良さであると考えているし、子気味よく必要十分な修飾語で満たされた彼のお話は、いつ開いても非常に感心しながら読み進めることになる。そして大江の本は厭にべたべたとしている。優柔不断な主人公にだらだらと続く地の文、一見奇妙奇天烈なお話でありながら、読了後に残る余韻と"学び"がある気がするのだ。

 

閑話休題

 

 

太宰の『葉』の中でもお気に入りの部分がある。それが以下の一文だ。

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。(太宰治, 葉)

なんと人間賛歌的な一文であろうか。人が「人間賛歌な文章だ」という時は決まって感動的なお話ではない。若い二人のラブロマンスとか長く連れ添った夫婦だとか、善人が報われる話でもなければ、悪人が罰せられる話でもない。普通(に思われる)人間が泥臭く生き、どんなに絶望しようともあきらめずに何とか小さな糸を手繰り続ける。そんな極限状態であったとしても、一縷々の希望の灯を絶やさないでいる物語に対して人は「人間賛歌」という言葉を使う。

 

こんな話をするときにいつも悩むことがある。

それは John Stuart Mill の「満足な豚であるよりも、不満足な人間であり、満足な人間よりも不満足なソクラテスであるほうがよい」という言葉に対しての私の立場だ。

 

私は不満足なソクラテスになりたいと思ったことはない、というのは嘘だ。たしかに、私は私自身であることを誇りに思い、そして私が享受しており、Millに言わしめれば"高等な"快楽を得られない人間を馬鹿にしている。ただしそれと同時に、私にとっては辱めに違わない言動を取ることに恥じらいを持たないでいられる人間やMillの言う通り"低俗な"快楽に満足できる人間をうらやましく思っている。

東京の大学で勉学に励み研究に時間を費やす陰鬱な大学生なんかよりも、田舎に住み高校卒業と同時に恋人を孕ませ、すぐに働きその年に生きるような人間になりたかった。そんな人生に満足しながら、日々の暮らしを生きながらTVに文句を言うようなくだらない人生を生きてみたかった。

なんていうとただのプライドが高いだけの学生の愚痴になってしまい、人が人なら炎上してしまうような内容ではあるが、これが本心である。

私はある程度Millに同意しており、確かに快楽は"高等なもの"と"低級なもの"とに分かれており、そして私は"高等なもの"を望んでいたい。そこに私自身が文化人でありたいという驕りとプライドがあるのは否定できない。むしろ私はそのプライドのために生きているといっても過言ではない。Millが言語化したこのプライドに支えながら私は生きていると同時に、その言葉に縛られながら、何かを否定しつつ生き延びでいる。

 

人間賛歌的な表現を見た時に私は悩んでしまう。大抵人間賛歌的な言動を為すのはそれなりに良い暮らしをしてきた人間ではなく、泥臭く生きてきた人間だからだ。太宰はその境界を越えては戻り、人間賛歌を行っている。彼の生まれ育ちを考えれば人間賛歌的に、泥臭く人生を生きる必要はなく、もっと優雅に生きてゆけるような人間だっただろう。しかし彼本人は、悠々自適に生きたことに違いはないが、なんとなく泥臭く、何かにすがるように、人間賛歌的に生きていたように思われれる。

その証明の一翼となるのがあの引用のように思われるのだ。

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。(太宰治, 葉)(再掲)

 

 

そしてこの一文に続くは、

どうせ死ぬのだ。ねむるようなよいロマンスを一篇だけ書いてみたい。男がそう祈願しはじめたのは、彼の生涯のうちでおそらくは一番うっとうしい時期に於いてであった。男は、あれこれと思いをめぐらし、ついにギリシャの女詩人、サフォに黄金の矢を放った。あわれ、そのかぐわしき才色を今に語り継がれているサフォこそ、この男のもやもやした胸をときめかす唯一の女性であったのである。
男は、サフォに就いての一二冊の書物をひらき、つぎのようなことがらを知らされた。
けれどもサフォは美人でなかった。色が黒く歯が出ていた。ファオンと呼ぶ美しい青年に死ぬほど惚れた。ファオンには詩が判らなかった。恋の身投をするならば、よし死にきれずとも、そのこがれた胸のおもいが消えうせるという迷信を信じ、リュウカディアの岬から怒濤めがけて身をおどらせた。(太宰治, 葉)

この文章から文頭の言葉以上に太宰らしさを感じずにはいられない。彼の執筆はどこからか題材を探し出してきて、彼なりの自由な感性でその詳細についてを綴り、物語を色づけることで成り立っているように思う。

そのうえで特に思うのは、この引用の序文、「どうせ死ぬのだ。ねむるようなよいロマンスを一篇だけ書いてみたい」という文章だ。あまりにも太宰。何とも言えないほど太宰治なのだ。この文章が彼を言い表しているのではないだろうか。

 

なんやかんや適当に思いのまま書いていたら二千五百字を超えていた。もう直ぐ、甲種危険物取扱者の受験もあるころだからこの辺で失礼しよう。

どうにか、なる(太宰治,葉)