ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

感想1

いつもながら、きょうのブログに拙稿が取り上げれられたのでこすった話を書こうと思う。

 

前回の「スーツ購入の話」はかれこれ1年ほど前に8割書いた記事に、残り2割の終わりに向ける文章を追加して公開した内容となっている。私は思い付きで文章を書き始めることも多いので、そういう場合には内容が発散したまま、オチをつけられずに放置することが多い。実は非公開となっている記事の多くはそのような状態で、上手く終わらせられないからそのまま手つかず、数か月に一回見直すけどやっぱり続きが書けないとなっては放置を繰り返している。

 

そんなこんなで1年ほど放置されたスーツ購入の話をなぜ書ききって公開したのか、なんて言われても理由なんてないのだが、しいて言うのであれば自分の文章を公開してフィードバックを得られる場所が欲しかったからかもしれない。

まま、私はコンペディションに応募するのであるが、先日ある超超超・小規模のコンペで入選との連絡がきた。まあそんなもんだろうと思っていた文章だったので、結果自体に文句は一つもないのだが、そのコンペにおける入選とは、名前だけ公開であって、文章は一文字すら乗っけてもらえないものである。

それがなんだか残念で、せめてフィードバックが得られるような方法にしてくれなければ書いた甲斐もないと悲しく思い、その感情を晴らすためにブログとして放置していた原稿を書ききったのだ、と一つ説明できるかもしれない。

まあこんなのは後付けの理由なのかもしれないが。

 

ちなみに、私個人の趣味でいうと「スーツ購入の話」はあまり自分らしいものではないと思っている。というのも、私の文学の趣味は三島由紀夫だとかのさっぱりとした内容のものであって、あんまりべたべたとしたような修飾満載の文章を好んでいない。

それこそ、

それは、夜空の様な深い青色をした肩である。朝焼けの様に赤いのではなく、もっと蒼い、深夜の様な色であった。

鈍い輝きを湛えたを衣を裏から支えると、水の表面にとどまる油膜のように滑らかに彩を変える。

みたいな文章って言うのは好まないのだ。じゃあなんでこんなのを書いたのかって言うのは、明確に覚えている。宮沢賢治の「カイロ団長」。ちょうどこれを読み直していた時に、なにか引っかかる文が一つあったのだ。それは自棄に脂ののった、胸焼けしそうなくらいに修飾された文章であって、私のなかの宮沢の印象とは全く異なる一文であった。

ただ、今しがた「カイロ団長」を読み直すと、そんな文章は見つからなかった。でもたしかに、私が文章を書こうと思い立ったお話と全く同じであって、なんだかちょっと腑に落ちないのであるが、まあとにかく、それがきっかけで偶にはしつこいくらいの表現を繰り返すような文章を書こうと思ったのが、先ほどの様な文章たちである。

 

が、結果としては私のスーツに対する思いのとかを書くこともできたし、そこそこの人に見てもらうような記事になったということで、よろしいのではないだろうか。

以上