ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

私の恋と東京に寄せて

好きだったはずのその声だけが思い出せない

-私の恋と東京(詞:土岐麻子大江千里)-

 

私にとって東京は憧れの町ではなかった。関東平野の田舎で生まれ育った私は、気が向けばいつでも東京に上ることができたし、そのために乗る電車はいつも混んでいて頻繁に訪れたいとか、あるいはそこに住んでみたいとは思えなかった。

だけど、渋谷だけはあの渋谷系と呼ばれる音楽のように煌びやかで明るい街だと考えていた。実際はそうじゃなかったけれど。

 

2021年7月、銀座。歩行者道をゆく人影はまばら、休業中の看板が目に付く。焼き付くような暑さの中に、私だけがインターンへと向かう大学生のようにスーツを着込んで歩いている。

それなりに服が好きな私はつい、周りの人の服装に目をやりながら歩いてしまう。東京とは不思議な街で、駅をまたぐごとに人々の服装が全く変わってしまう。なんてのはもう何番煎じってくらい言われているけれど。スーツや革靴なんかが好きな私は銀座を道行く人の服装に憧れているから、東京(駅)へ上る時には必ずと言っていいほどスーツを着てしまうのだ。それが夏であっても。

 

閑話休題

 

東京の話ばかりしてしまった、タイトルは私の恋と東京に寄せて。

私の恋は大学生になった夏に始まった。終わりは知らない。

春に、「憧れの人が忘れられない」とは告げぬまま別れた恋人。あんなに長くいたのに、別の人を好きだなんて言って傷つけてしまいたくなかった。自分勝手だけれど。

数か月ぶりに夢で出会った君は、当時私が好きだった香水の匂いをしていた。

 

 

なんて未練がましいことを思いながら、結局原因となった手の届かなくなった憧れの人とは10分くらいしか話ができず、もう、いくら待ったって返信が返ってこないとわかりきっているSNSに、魂が吸い取られるようになっては暑い夏を感じないくらい寒い部屋で一人うずくまっていた。もうやめよう。そんな時にふと、恩があった方を食事に誘いそこでまた恋に落ちた。なんていうと自然みたいだけど、きっと本当は、目標がなくなった自分を奮い立たせるために、何とか代わりの偶像を見つけ出そうとしただけなんだと思う。そう頭で考えながらも、ロザラインをあきらめジュリエットとの恋に落ちたロミオを気取りながら生きることにした。心は偉大だからね。

 

 

私が再び目標を手にしたその日。もうあの日だろうか、私は生まれた。かつての私は恋に殉教し、再び生き返ったのだと。

 

我ながら気持ち悪い文章を書いてしまった。いつものことだったかも。

東京の丸の内にある「三菱一号美術館」。私一人の思い出の場所である。

当時の展示会はマリアノ・フォルチュニ。目まぐるし速度で変化を繰り返す絵画に、いくつも飾られたデルフォス、私はかねてから美術館へ訪れることが好きだったが本当の意味で芸術を考えるようになったのは、彼の展示会がきっかけだったのかもしれない。

 

あまりにも衝撃を受けた彼の展示会に好い人を連れていきたいと思った。しかしそんなことは夢のまた夢で、かなう事なんてなかった。それを分かりきったまま、連絡を取り続けた。あの人に渡したものと同じ、ヴァニラの香りがする紅茶を啜りながら。

 

私にとっての東京は銀座を中心に広がっている。私は片田舎の育ちだから、東京で恋に勤しんだ経験はない。けれども、東京はいつまでも独りであった私にとって何よりも恋を想った街である。