スーツが好きだ。
だからイトーヨーカドーでスーツを買った。
これは、多くのスーツ好きから見れば訳が分からないだろうし、私にも意味が分からない。おそらく大抵のスーツ好きはヨーカドーやイオンといったスーパーで売っている衣類をスーツだとは思っていない。スーツの形をした別のナニカだと思っているだろう。私もそうだったし、今でも革靴については同様に考えている。
が、今回買ったスーツは違う。明らかに違った。
久しぶりに立ち寄ったいくつかの路線が交差するそこそこの駅。待ち合わせまであと2時間もあり、駅ビルだけじゃあ潰せなかった。仕方なく町を歩いていると視界の端にヨーカドーが入る。よくあるタイプのヨーカドー、伺うことにした。
私はスーパーでは必ず紅茶とコーヒー、輸入菓子を見る。そのヨーカドーは対して面白いものがなく、通常ならそこで帰るところだ。しかしその日はあまりに時間があった。
「そうだ、紳士服売り場でも見るか」
普段はあまり立ち寄らない紳士服売り場に私は向かった。
目的はポケットチーフである。ポケットチーフ、記憶の中ではシルクを2枚、リネンを3枚購入したはずだが、なぜか手元にはどちらも1枚ずつしかない。すぐ失くすからその度に買い直している。
チーフ売り場には望み通りの白いリネンのチーフがあった。よく見ると端はロックに見えるし、なんか生地が微妙、でもお値段500円だ。ないよりかはましだろうと思い手に取った。
「さて、レジに向かおう」
と思った矢先に目に入ったのが Good suit, Good price の文字だ。こんなところにスーツなんて売っていないだろうと思いながらも、時計はまだ余裕を告げる。
「とりあえず端から見ていくか」
10,000円を切る価格のスーツを眺め、やはり自分は間違っていなかったのだと確信した。けれども時間が許すのだ、あまり広くない5列くらいの棚なら余裕で全部見られると思った。そして一つ、また一つと流れるように見ていくうちに、信じられないものを発見した。それは、夜空の様な深い青色をした肩である。朝焼けの様に赤いのではなく、もっと蒼い、深夜の様な色であった。
右手でハンガーを取り、節電の所為かやや暗い店内照明に当てる。やはり見初めたものは間違いではなかった。鈍い輝きを湛えたを衣を裏から支えると、水の表面にとどまる油膜のように滑らかに彩を変える。もちろんその生地の柔らかさは言うまでもなく、しなやかに力を伝えていた。その胸ポケットにはイタリアンファブリックの文字がかかっていた。
ラペルに目をやると、そこまで悪くはない。やや控えめといったところだろうか。だが、初めに見た10,000円のスーツのように紙のように固い質感ではなく、接着ではあれど柔らかく、陰影を湛えるウール地。不可もない、それどころか良いではないか。青焼きされた鉄のように、鈍色の上に青を透かしたような重い質感。そこそこの柔らかさと構築感を持った仕立て、さてお値段はとさぐると、たったの2万円であった。
もちろん、学生に2万円は重すぎる。しかしながらこの生地にこの仕立てなら良い選択肢だ。Good suitsとは過言でなかった。生地はCerruti。イタリアの五大ブランドに数えられるそこそこの歴史をもつミル (かつてはNino Cerrutiというラインをかつて持っていたはずだが、現在は生地の卸のみ?今あるCerruti1881のネームは現在中華企業が持っており、Cerruti自体がブランドを持っているかは私も知らない。) であり、名前負けも質感負けもしていない丁度良いクオリティである。
正直、ツープライスショップよりもはるかに良い選択肢で (おそらく大抵のスーツ好きはry )、そもそも高級スーツなんて買えない学生にとっては、1.5軍くらいのスーツとして良いと思った。というか私は構築的なTimothy Evelestのスーツが大好きで、中古品ではあるがネイビーのものを三着所持している。その他に持つスーツもブリティッシュスタイルのがっしりしたものが多い。手前味噌ながらこれらは非常によいスーツであるが、Too muchなのだ。あまりに良いスーツを、20を少し超えた程度の若造が来ているのはあまり良い印象ではない。それこそ、一般公衆に紛れる為には、私なんかにはツープライスやデパートの企画品くらいが適切である。
なんてところで問題を発見する。それはサイズだ。私はAY (YA) の5くらいが適正サイズで、今回発見したのはA7。あまりにでかすぎる。許容範囲はAY5かA5のどちらか。私は良いものは良いと言いたいし、それが安かったとしても自分の目を信じていたいと思っている。だから、このひとめぼれは私にとってそれなりに重く、可能であれば手に入れたいと思った。
そして冒頭に戻る。だからヨーカドーでスーツを買った。そのヨーカドーは先ほど訪れた場所ではなく、もっと地元にある別のヨーカドーだ。どうしてもあの日見たあのスーツを忘れられなかった私は、地元のヨーカドー (おそらく移動可能範囲には5店舗ほどある)を2つ廻って手に入れた。一つ目のヨーカドーを回っていると店員さんに
「何か探しているものはありますか」
と聞かれ、それがイタリアンファブリックと書かれた云々というと、
「今はやってないのよ」
と言われてしまった。何とも頼もしい。必要最低限の意思疎通でもって、早くも2店目へ向かうことが義務付けられたのだ。
2店目は行ったことのないヨーカドーだった。そのほかの商業施設も立地するその場所ではヨーカドーはあまり賑わっていない。自転車を止め中へと入ると、節電のためかやや薄暗い店内が迎えてくれた。
この時点で私はもう勝利を確認した。
そして紳士服売り場でネイビーのスーツを片っ端から当たってゆく。一つ、また一つと肩を眺めながらヴィンテージ時計の針の色をした生地を探す。どうやらここにはないのかもしれない...と思い売り場を離れようとしたその時、通路沿いに設けられた展示棚にその色が発見された。私は自らの目を信じているから、一目見てそれだと思った。というよりも、もし違ったとしても、この別の商品も同様良いものだろうと考えたのだ。
サイズはA5、良いとは言わないが及第点を外さない。周囲を見渡しても店員はおらず、レジの女性へと声をかけると、ご自由にどうぞと言われてしまった。これこそ、デパートの醍醐味であり、店の所有物を勝手に客が持ち歩くことを誰もとがめはしないのだ。
サイズは想像通りであるが、規格ものであってやや身幅が広い。まあ直してもらえばよいだろう。そんなことを思いながら柔らかに光を湛える生地に今一度惚れ直した。程よい深さ、というのだろうか。あまり明るいネイビーはネットによくいる何をやっているのかわからない社長の様で嫌だし、かといって暗すぎるものもそれはそれで難しい。
私は気に入ったそのスーツを手にすぐさまレジへと向かった。店員は
「裾のお直しはどうしますか?」
と聞いてきたが、そのヨーカドーは自宅から自転車で1時間。先ほど気になった身幅詰めと一緒に行きつけの直し屋でやってもらおうと断ることにした。たった2万円。それだけでこんなに良いスーツが購入できるのかと、あらためて"スーパー"マーケットの偉大さを思い知った。
それがかれこれ一年くらい前だろうか。
ちなみにお直しには身幅詰めと裾直しで8,000円くらいはした気がする。合計2.8万円だがそれでも安い。なぜなら安い安いと言われるツープライスショップですらCerrutiは5,6万円はするのだ。それが2万、驚愕である。
この記事はスーツを買った当初に書いたものだが、現在ではヨーカドーが衣料品部門から撤退との報道が為されている。今の内しか買えないのかもしれない。
ちなみにこの一件(ヨーカドーでスーツを買った件)のせいで、今では大型スーパーに行く度に紳士服売り場でスーツを見なければ気が済まない体になってしまった。これまた自転車で1時間半程度の商業施設にもスーツを見に行ったりしている(もちろん運動がてら適当な距離にあったからであるが)。ここでも一本だけよいスーツがあった。
なんやかんや言って、ツープライスショップよりもよいものがある気がする。今日もいくつか駅ビルに入っているスーツ屋を見てきたが良い生地(私はネイビーの無地しか興味がないので他の色や柄はしらん)のスーツはどれも5万円はくだらない。さらにはヨーカドーのスーツよりもラペルが硬く、あまり良いものだとは思われなかった。
ただ、スーパーマーケットでスーツを買うのは基本的にはスーツに興味がない人であって、あまりいいモノがない。これは矛盾ではなくて、明らかに良くないものが多数ある中で、ごくまれになぜかアホほどよい物品が混ざっている。一方で、ツープライスショップは、確かに良いスーツが入っているが、それはあくまで5万や6万を超えるフラッグシップモデルであって、通常の価格のスーツは大してよくはない。
ってことなので、もしもあなたがそこそこ安価で、それなりに良い(生地の)スーツが欲しいと思うのならば、行くべきは〇山や〇木といったツープライスショップではなく、ヨーカドーやイオン(見ている感じイオンはそんなに良くないかも)などの大手スーパーだ。あとは地元特有の大型スーパーである。
ただしこれは、黙ってMサイズを買えば体にぴったり合うようなあまりにも標準的な体系を持つ私の場合であるので、誰しもに言えるわけではないのかもしれない。また、スーパーのスーツは身幅が広めなこともあって、若い人向けではそもそもない気もする。
ちなみに私はスーツを買うときは+10,000円を払ってお直しをしてもらうつもりで買っている。こんなのはあくまで、スーツに娯楽性を見出している私の様な変人が、面白がって購入する程度の話なのかもしれない。
あまりに語りすぎた。この記事は出だしが重すぎて、なかなか先に筆が進まず、尻切れトンボであるとは思うのだが、あとは将来の自分にまかせて、明日も就活があるので筆をおこうと思う。