ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

如是我考

如是我聞、それは仏教の経典に登場する言葉であり、「是の如く我は(仏より)聞いた」を意味する。

今回のタイトルである如是我考とは、私が執筆時に気に入って使っているタイトルの一つだ。詰まるところ雑考と同じ意であるが、少しの衒学趣味がある方がよろしく思われる。今日は別に書きたいことがあったわけではない。ただ何となく持った雑念を供養する文章を綴りたいだけだ。


1. HKM

クックパッド(死語)(ではない)を使う人間なら見たことがあるだろう。主に製菓の文脈でホットケーキミックスの略称として用いられる。が、どうしても納得いかない。誰がどう考えてもHCMだろ。なんでHKMなんだよKEKかよ。Hot Cake Mixじゃないんだよ。ちなみにもっとまともに考えるならHotcake MixであるためHMなのだが、これはHand Mixiser と干渉するのでCが入ることの違和感は少ない。

KEK(Kou Enerugi Kasokuki 研究機構)の場合は加速器(Accelerator)が語彙としてやや専門的であるため、認めてやってもいいだろう。というかそのナンセンスさがむしろ目を引くので楽しいくらいだ。しかし、HKMはそうではない。HotもCakeもMixも全て中学どころか小学英語(なお筆者は小学校の英語はほとんどなかった世代であるので詳細は知らない)の単語だ。それなのに、なぜ...。

 

 

 

2. A Blue Shirt

私の服飾の趣味は、ドレスアイテムが軸にある。主にシャツやジャケット、トラウザーズ、スーツ、革靴といったテーラリングの類だ。

かつて、原理主義者だった私は白シャツにばかり気を取られおり、今でも自室のクローゼットには20枚以上の白シャツが掛かっている。それらワードローブの中にただのブルーシャツが加わったのはごく最近の出来事であった。

ごく普通のポプリン地を使い、二の字掛けで艶が控えめの白蝶貝ボタンが付けられた普通のボタンダウン。旧タグ時代のMargaret Howellのものだ。

特筆すべきものがないほどただのシャツで、唯一が二の字掛けであることくらい。背割も袖付のガゼットも至って普通である。

思えば、カラーシャツを見てこなかった。避けていたというよりも、そもそも眼中になかったのだ。シャツといえばホワイトシャツ以外存在せず、存在そのものを認知していなかった。

むしろ今では、ホワイトシャツより気に入ってしまったから困る。以前から柄(ストライプ)まで入ったブルーシャツを一枚のみ"奇抜"な服として持っていたが、気が付けばそれももう一枚増えていた。好みとは変わりゆくもので、昔は必ずと打っていいほど二つまで開けていたボタンは、今は間違いなく一つだけであるし、あれほど嫌って必ず取っていた胸ポケットは、最近は無視しつつもある。

爽やかな格好。幸か不幸か、私は自分の好みの服装と人受けのいい格好というものが一致しているから助かる。ただ、以前のホワイトシャツよりもブルーシャツの方が特に好印象な気もしていて、さらなる合致に期待を高めるばかりだ。まあ、服装が良くても本体のヒト受けが悪いので仕方ないのだが...


3. 鈍行

2時間弱ほど同じ電車に乗り続けた。普段は東京の大学に通うため、一つの路線で乗る時間はせいぜい30分程度、すべて合わせて1時間を超えるか超えないか程度である。

鈍行、この頃はあまり本を読まなかったから、スマホをいじることに終始していた。

目的は旅行であり、学部時代の旧友へ会いに行った。特段、目的などはなく、ただ単に私が住む地域と、彼が住む地域の中間地点を目的地としたに過ぎなかった。

訪れた地は秘匿しておこう。ただ、その

 

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