ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

冷気

まだ、悲しみを共有できるほど親しくはないから。

あなたとは、楽しいことを一緒にしていたいの。

 

 

梅雨特有の、濁ったような湿度の感じが思考を鈍らせる。自分自身の頭の中にある感情を整理するために、しきりに独り言を呟いては、毎回同じ結論へと至るのだ。仕方がない。

 

今日は、コノスルのスパークリングを買ってきた。本当は、アマゾンで甘口のワインを買ったのだけれど、届くのがどうも月末らしくて、どうしても我慢できずにいくつかの店を転々とした。今週は時間があればスーパーやらドンキ、リカーショップを回っていたのだけれど、コノスルはもうアルパカに駆逐されてしまっていて、どこにも売っていなかった。何とかBRUTのハーフボトルを見つけたのは、普段はあんまりいかない乗換駅のスーパーで、最後の一本だった。幸運かも。

 

そういえば、神社に行く度におみくじを引くのだけれど、毎回決まって待ち人の欄に「来るが遅い」と書かれている気がする。陰鬱なブログを書き始めた時からそんな気がするから、かれこれ3, 4年は続いているはず。さすがに遅すぎでは?

ていうか待ち人ってなんだ?恩師には出会った気もするし、もう会っているのかしら。来るが遅いっていうだけあって、また誰か(他人事感があって、あんまこの言い方好きじゃないけど)人生を変えてくれるような人と出会うのだろうか。

 

 

気を紛らわせるような文章を書いてしまった。

悲しい出来事があった時に悲しんだ素振りをしないのは、感情に乏しいのでも、冷たいわけでもない。ただ、目に見える形で悲しむことだけが、心を表現する方法ではないから、私はいつも黙っている。私は、悲しい素振りを公にできるほど、悲しむことに慣れてはいない。

文章を書き綴ることは、悲しみを人に話すことと同じくらい有効なことらしい。まあそんなことはどうでもいいのだけれど、気休め程度に描いておくのも悪くはないのかしら。

 

 

水を一口飲む。

私が死んだときには、どうか遺骨をダイヤモンドにしてもらいたい。それは別に、ダイヤモンドというものに拘りがあるわけでもなければ、死してなお永遠なんて戯言に惹かれているわけでもないのだけれど、ただ単に、科学を志す人間として、その科学によって(物理的に)姿を変えさせてもらいたいのだ。

スイスかどこかの国で100万くらいでやってくれるらしい。死してその骨を墓にしまわれるくらいなら、ダイヤモンドになった後で、道端にでも捨ててもらった方が、私らしい気がしているのだ。