この世の中は才能がある人のためにできている。
だからこそ才能がある人間はその才能により得た利益を社会へと還元し、弱者を保護するべきである。
私はそれなりに才能があったのだと思う。それなりに学問を修め、それなりに恋をし、それなりに芸術に触れながらそれなりに育ったのだと。
私は努力をしないものに寛大には成れなかった。才能や何やらではなく、'ただやること'すらもできない人間に特別に猶予を与えてやろうだなんて思われなかった。
生まれ持った家柄で差別をすることが中世までの歴史だというのであれば、現代は生まれ持った才能で持って差別をすることが常識なのかもしれない。
幾分かはマシになったのかもしれないけれど、結局才能を持って生まれることのないものが苦しみ、才能のあるものが富めるのだろうか。
ある程度の運要素はあれど大まかに間違いはないだろう。
ノブレス・オブリージュとは貴族に対する義務であり、富めるものが貧しきものへと施しを与えることである。現代では才能あるものがその義務を応用だが、生まれ持った家柄や才能を用いて富を得、そしてその分社会へと還元する。
社会によって定められた特権を利用して富めるものが、社会によって定められた貧しきものへと施す。
社会によって求められた才能の有るものが、社会によって捨てられたものへと施す。
同じ構造であろうか。人類が生まれて数千年経てど結局は名ばかり、レッテルのみが変わった制度で持って、同じ構造のまま社会は発展してゆくのだろうか。
才能の無いものに対して施すことは果たして必要なのだろうか。それを諦めることは結局中世貴族と同様、人を見捨てることに違いないのではないだろうか。
私の中で決着はつかないけれど、もう少し、才能のないもの、努力のできないものに対して寛大になってもよいのではないかと思った。
上から目線だと言われたって構わない。私は彼らを見下すだけの努力はしてきたつもりだから。