ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

贅沢と特別と完璧と

モラビトと言うブランドは私にとって憧れのものだが、その創始者の言葉に

「贅沢は特別なことではなく、特別であることが贅沢なのです」

というものが有る。

憧れ、とはいえど学生の私に当然数十万から数百万するかばんを買えるほどの金はないし、ましてや使いもしないレディスのハンドバッグなんて間違っても購入しない。ただでさえ欲しい物がたくさんあるのに美術品感覚で高額なバッグは買えない。
閑話休題

 

十分条件と必要条件。というと如何にも理系っぽいが、こういう言い回しを目にするとついつい考えてしまう。

 

モラビトは鞄を主とするブランドで、特にエキゾチックレザーを用いた製品の品質の良さが言われている。日本においてはさほど有名なブランドではないが、カーフのエルメス、エキゾチックのモラビトと言われる程には品質が良いのだろう。私には縁のない話だが。

モラビトの製品は「特別」である。とても美しいシルエットのバッグを最高級の素材で作り上げるのだから。そしてそれが贅沢なのである。モラビトいわく、「贅沢に素材を使用した」と言うことではなく、「特別な素材で特別に仕立てた鞄だから贅沢である」のだ。

 

贅沢をしようとする時点で、それは贅沢ではないのかもしれない。そうではなく、日常とは異なる特別なものを身にまとい使うことが贅沢なのではないだろうか。

そもそも「贅沢をしたい」という欲求は正しいものではなく、特別なものを纏いたい、使用したいと言うその結果が贅沢であり、「贅沢をしたい」という欲求は主従を履き違えているのかもしれない。

 

 

よくまとまってもいない癖に文章を書き始めたからおかしくなってしまった。

本当に話したいことはこれからだ。

 

+Jのタグに書かれた言葉

 

PERFECTION IS NOT A LUXURY.

IT ONLY FEELS THAT WAY AT FIRST.

 

 

私の解釈としては

完璧であるということは贅沢ではなく、

この商品がそれを貴方に初めて伝えてくれるでしょう。

といったところだろうか。

 

この言葉こそが今回のUNIQLO+Jの本質であると思う。

私としてはあの人気シャツはショートカラーであるがために、タイも締められずジャケットのインナーとしても使いづらくなっており、完璧であるとは言い難い。

けれどタグの言葉の本質は低価格帯でLife Wearを語るユニクロだからこそのものであり、日常に於いてシーンを問わずに着用することができる服を目指すということだと理解している。

 

一般にホワイトシャツは手入れや気遣いが必要なアイテムであり、ベーシックながら少し嫌厭しがちな物だろう。とはいえど清潔感や男らしさ、しっかりとした印象を示すには重要なアイテムである。けれどユニクロで4,000円で変えるシャツであれば、それなりに気兼ねなく使うことができ、その上+Jの仕立て、素材感は十分に特別であるだろう。

 

そしてその特別を日常的に使うことこそが贅沢であり、またシーンを問わず着用でき、その上美しい仕立てであることは完璧なのである。

私は物の価格以上に価値を大切にしたいタイプであるから、3万以上したシャツもユニクロのセールで購入した1千円のシャツもどちらも大切に着用し、手入れをしている。

安物で気に入らないシャツはボタンを付け替えたり、ポケットを取ったりして気にいるように調整しているし、手持ちのシャツやその他トップスはすべて手洗いし、肩の太いハンガーにかけて干している。アイロンは一枚づつ丁寧にかけ、シワを払ってから着用する。とはいえど、やはり3万したシャツにシミが付いたときと数千円のシャツにシミが付いたときではショックが違う。そもそも白シャツの時点で問題だが、3万のシャツでは焼き肉に行けないけれど数千円ならイケる気がする。そんなもん。

 

私はシワのつくつかないなんかよりも生地の美しさの方が重要な為、+Jは十分日常着として完璧な部類であると思う。

+Jとユニクロとの方針が一致していないのではと言っていた者もいたが、私はそうは思わない。+Jは十分にLife Wearの方針と合致しており、その中でも高級ラインとして、美しいながら気兼ねなく使える服飾品を提案してくれていたように思う。

今回は販売方法についてとやかく外野から叩かれている上に、服に興味のないものからはユニクロなんかにそんな値段払いたくもないなどとの声も聞こえるが、正直好ましくない。

 

私は価格でものを判断するような人間にも、逆張りをして批判をするような人間にもなりたくはない。悪かったことには悪かったと、良いものには良いと言えるような人間で有りたい。一つの事象のみから全体を批判するような者にはなりたくない。