ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

ありとあらゆる種類の言葉を知って

何も言えなくなるなんて

そんなバカな過ちはしないのさ

-小沢健二, ローラースケートパーク-

 

あこがれの人がいた。

これは過去形ではなく斉藤和義のような現在完了形の想いで、今も絶えず焦がれている。

 

昨年は自分なりに何でもやった。

もともと理系科目が好きで、けれども文系科目のほうが得意だった。

専攻に関わるいろいろな経験はもう書いた気がする。

去年は良書や、誰でも名前を知っているような本をいくらか読んだ。

パイドロスを始めとする哲学書大江健三郎などの現代小説、ロミオとジュリエットなどの劇話も読んで色々な言葉や表現、感情を蓄えた。

芸術にも興味があったからいくつかの個展や美術館を訪ね、鑑賞した。

 

たくさんの感情と言葉、いくらでも集めていくらでも自分のものにしたつもりだった。

いろいろな経験をして、貴方にあったときは私の感じた美しいものをすべて分け与えることができるようにと考え続けた。

とある冬の日、半年ぶりくらいに偶然貴方に出会い、言葉をかわしたとき、

何も言えなかった。貴方を誘いたい都合はいくらでもあったのに。美味しいレストランや綺麗な風景、愛おしい動物たちやノスタルジーな情景、アンティーク調のカフェに貴方の好きな舞台。

何も言えなかった。

 

何も言えなかったんだ。全くの偶然で、ふと貴方に出会った。私は毎日、誰に出会ってもいいように身なりを整えていたから、慌てふためくほど恥ずかしい格好ではなかった。

何も言えなかった。

言葉が一つも見つからず立ち尽くす私に気がついた貴方はただお疲れ様と言い、私はそのままの言葉を返すだけで精一杯だった。

 

貴方に話をするために古典から、現代に至るまでいくらでも言葉を揃えたつもりだった。

ただの一言も出なかった。自分自身に失望し、暗がりの夜道を独りゆっくりと家に向かった。

貴方にとっては何も変哲のないただの365分の1日、私はいくらでも反芻し何度も痛みを吐き出してはもう一度口に入れ悲しみを味わった。

自分への失望がいつか、自分を幾分かまともな人間に変えてくれると思う。

今日は貴方に会えなかった。明日も会えないし来週も来月も今年に会えるかどうかすら怪しい。どうでもいい。毎日そう思いながら涙を流して眠る。死んだように。胸の前で両手を結んで。

 

私は惰性で恋をしているつもりはない。過去の私が貴方に憧れたからではなく、昨日の私がそれまでの日々を今一度味わい、その結果としてまた今日もひとり傷つくことを選んだのだ。

 

ストーカーチックな不適合者の吐き出しはこれくらいにしておきたい。

今晩泣くことで明日は笑顔で過ごせるのなら毎日泣こう。おやすみ。