ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

シームレスホールカットの紹介

連続して靴の話をしよう。

ホールカット

先日話したボタンブーツは、私の手持ちの革靴の中でも新しいものだったが、今回紹介するホールカットは2年ほど前から愛用している靴である。

 

ちょっと写真が逆光気味で暗いが、まず、単純に光沢が深い。アッパーのレザーが何処のものであるか存じ上げないが、触り心地や光沢を見る限り相当に質の良い逸品であることが伝わってくる。今回はサフィールノワールのクリームのみで仕上げており、ワックスはかけていない。トゥの曲線の立ち上がりが美しく素材だけでなく作りの良さも感じられる。

 

ネームはMILA SCHÔN。現在日本ではLanvanやHunting worldのライセンスを擁するコロネットが同様にライセンス販売を行っており、バブル時代の面影を残す古いブランドというのイメージは抜け切れていない。靴に関しては、おそらく世界長ユニオン(Union Royal)が販売を行っていたはずだが、現在はホームページにブランドネームは載っていない。てか、今世界長ユニオンのHP見たら、もともと親会社であったオカモトに吸収されるようだ。そもそも、親会社オカモトだったのかよ。あんまりイメージにない。もちろんオカモトとはあの0.01のオカモトである。

閑話休題

 

そもそも、この靴は変態の靴である。靴好きが写真を見ればわかるだろう。

ヒール側

サイド側

 

何がすごいのか、それはシームレスホールカットであるという点である。この靴はアッパーに縫い目がない。普通、ホールカットと呼ばれる靴はヒール部分、もしくは土踏まずの上あたりにシームが来るが、それが全くないのだ。

ホールカットは別名ワンピースとも呼ばれる通り、一枚革から作られる。そのうえで、さらにどこにも継ぎ目を作らないのがシームレスホールカットである。継ぎ目がないため、革のカットが平面になる。それを吊り込みの技術で立体に仕上げる為、相当な技術が無ければ作ることはできないのだろう。

 

購入金額を確かめてみたいのだが、当時の記録が見つからない。年中お金がなかったので、どんなに高くても8,000円、おそらく5,000円くらいであったはずだ。今考えても安すぎる。

ちなみに、シームレスって言うのは本当にシームレスで、履き口にも縫い目がない。唯一あるのが、羽根部分で、さらにレースホールも裏鳩目である。拘りぬいて作られたのだと実感できる。

 

初めてこの靴を履いた時のことは今でも覚えている。かかとのへの食い込みがきつく、履けたものではなかった。革靴は我慢から始まると考えているため、想定内ではあるのだが、これ以上にきつい靴とは未だ出会っていない。が、今ではだいぶ慣れてきて痛みはほとんどない。

ソールはそこそこ薄目だがおかしなデザイン。「ヒール側」の写真が分かりやすいと思うが、二重に張り出している。拘ったヒールデザインと言えば、コバは矢筈仕上げが想定されるが、その全く逆。そもそもが薄いソールデザインでなければできないであろう、二回の張り出しをカジュアルにならずに完成させている。さらにソールには金属製のネームプレートが釘で打ち付けられていた。片足分はいつの間にか失くしてしまい、さらにもう片足は取ってしまったが...

 

 

私はノームコアに過度な影響を受けているスーツ信者であるので、この靴はもっとも好みな部類である。一番気に入っているスーツはネイビーの無地。きついウエストの絞りに、コンケーブトショルダーであり、日にもよるが、シャツはコットンサテン、ネイビーソリッドのサテンタイ、スーツカンパニーの佐藤可士和氏デザインの真っ黒で真四角の鞄を合わせたりする。本当はチェンジポケットがなく、インタックの付いたスーツが一番好みであるが、今は手元にない。

全くの柄を使わずにネイビーとホワイト・ブラックのコンテンポラリーな色合わせのみでハードに仕上げるのだ。その中で中心的な役割を持つのが、やはりこの靴である。デザインが無いことが却ってデザインとなり得る。それを体現した存在がこの靴であり、私の目指すものなのかもしれない。

 

 

余談が過ぎたが、今回も靴について語った。もともと革靴好きから服飾の興味に移っていった人間であるので、靴についてならいくらでも語られる。当然靴磨きだって好きだから、あのクリームがどうだとか、手入れの順番はどうだとかいろいろあるが、そんなものは多くのプロが語ってくれているし、今更私なんかがとやかくいう必要はないのだろう。

落ち着いた青白い光沢に、見るだけでも伝わる滑らかな質感。そんな革から始まり、構造や仕立てまでも拘りが詰まっているその小さな工業製品は、手にするだけで非常に満足感がある。私はお金がないから新品は全くと言っていいほど手が出ないのだが、あまり神経質ではない私は中古で全く問題はない。

以前、zwieselのairsenceでも語ったが、日常に芸術を持ち込むもっとも簡単な方法は、服飾もしくは食器に良いものを持ち込むことであると、そう考えている。

また、これも以前引用したモラビトの言葉もまた表しておこう

「贅沢は特別なことではありません。特別なことが贅沢なのです。」

特別なものを纏う、特別なことをする。それ自体が贅沢であって、贅沢なんてものは、贅沢しようと思ってするものではないのだ。

だから、私は好きなモノ、特別なモノを日常に取り入れたい。それは、私にとっては日常であっても、間違いなく人とは違う特別である。つまり、私はただの日常すら贅沢に過ごすことができるのだ。その贅沢のためには、毎日お金をたくさん使わなければいけないわけではない。ただ一度、本当に気に入った特別なモノを手に入れればいいのである。

尤も、私は物欲がひどいので特別なモノをいくつも手にするために、出費がかさんでいるのであるが...

 

 

ということで本論は終わった。あとは余談。

昨週はとにかくブログを更新し続け、本当は金曜日にも更新すれば一週間連続であったのだが、少々忙しく、手が回らなかった。私は基本的にブログ記事の更新には1,000文字以上の縛りを設けているため、イチから書くとなると30分から1時間は見ておかなければならない。

今回は30分で1,000書こうとか思っていたら気が付けば2,500字を超えそうになった生地である。ああ、時間がないと思いつつもこんなことで時間を消費してしまっている。

私はあまり、好きな物について語らないようにしている。だってだれもそんなこと聞きたくないだろうから。だから文章で長々綴る。人は、止めたければすぐ読むのを止めることができるから。

まだまだ語りたいことはあるが、今回はここらでおしまいにしよう。やるべきことが、私を待っている。