ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

野外撮影会と桜を取る老婆

野外撮影に行ったらおばあさんが綺麗な桜の前で足を止めて、ガラケーで撮影を始めた。 おそらく私の持っているカメラよりもきれいに撮ることはできないだろう。しかし、もしかしたら私よりもその光景を美しく感じていたんじゃないだろうかと思う。

 

話は以上だ。だけど文章はもうちょっと続く。

 

私は絵を描くことができない。昔は描けていたらしい、小学生の頃、中学生の頃。過去には詩も書いていた。学校で描かされた絵は決して上手な絵ではないが、教室ではなく廊下などに掲示されたり市内の何某かに出展され飾られていたし、現代詩では二回くらい何かの賞をもらったことがあった。

そんなことが皆できなくなったのはいつからだろうか。高校では音楽に触れた。私には皆目技術もセンスもなく、何もできなかった。私の力ではなく、周囲の皆の力で賞を取ったのだ。絵も描けなくなり、自分が詩人ではなかったのだと気が付き、音楽だってなんの結果も得られはしなかった。だからこそ今は写真をやっている。

 

写真は、私が技術を持たずとも美しいものを用意することができる。美しいものを見つければいいのだ。私が美しく撮らずとも、そもそも被写体が美しいのだ。私は私の目を誇りに思っている。乱視でろくに文字が読めない目が、視力が悪く先を見通すことのできないこの目こそが私の誇りなのだ。私は私が美しいと思ったものにレンズを向け、4種類くらいの設定をしてボタンを押せば簡単に写真が撮れる。

ああ、君よ。私はおそらく、あなたよりも綺麗に写真を撮ることができないだろう。しかし、私は誰よりも美しく、この瞬間を、この景色を見ることができるのだ。

それこそが私の誇りであり、詩を書く少年であった私の矜持である。

 

f:id:taro0219:20220305165929j:plain

さくら

この写真はあまり上手ではない。分かったうえで、今日はこれ以外の桜の写真を撮れなかったために選んでいる。

f:id:taro0219:20220305170414j:plain

花壇

この花壇は初めて二眼レフで野外撮影に行ったときに撮った対象である。一年弱たって再び、今度は一眼レフで撮影してみた。良いとは言わないが、悪くもないだろう。

 

今日はそもそも二眼レフの撮影会として外出したため、あまりデジタルの写真は残していない。お見せするものはあまりない。