ココボロだとか好きだとか

社会人・通信大学生による独り言と備忘録

完璧と不完全と日常

1. 日常と完璧と

Perfection is not a luxury. It only feels that way at first. 

これはもうかれこれ数年前に話題になったUNIQLO+Jのタグに書かれた言葉である。敢えて丁寧に訳すのであれば、「初めのうちは完璧であることを贅沢だと感じるでしょう。けれど、それは最初だけで、完璧とは贅沢ではないと気づくでしょう。」といったところか。

私はこの言葉が結構印象に残っており、ことあるごとに引用している気がする。UNIQLOというブランドは、決して特別なモノではなく庶民的で大衆的な扱いをされるものである。当然それはハレの日に用いるものではなく、ケの日(=日常)に用いられる用品である。普通、完璧などというものは日常使いせず、特別な日に用いるものであって、冒頭の言葉はまさにこの"普通"を破る一言であった。完璧は贅沢なものではない。これこそまさに、日常使いされるUNIQLOの持つ根本的な理想を表した言葉であって、完璧な日用品を毎日使うという、本来であれば贅沢な行為を大衆に遍く経験させるのだというその心意気の表れであると私は思うのだ。

 

2. 完璧と日常と

たまにレジャーシート広げて 片方に寄ったお弁当を食べる

これは、いよわ氏の『散歩の邪魔』の歌詞の一部だ。氏の楽曲の中でもイチニを争うほどには好きな曲で、最近MVも挙がったばかりで幾度となく再生している。その曲の中でも一番気に入った部分を提示した。

そもそもこの曲は、ありきたりな日常の幸いを歌う曲であって、中でも日常を思わせるのが冒頭の歌詞だ。片方に寄ったお弁当を食べる。これはまさに不完全さの象徴を受け入れる行為であって、日常を生きる我々とは決して完璧な物のみを求めるばかりではなく、提示された"片方に寄ったお弁当"という不完全すら、というよりもむしろ不完全を受け入れられるという行為こそ、二人が恋しあっている様子をありありと表現するのだ。そしてそんな日常的に完璧でない様を受け入れ合うことに、幸いというものがあるのだと思う。

 

3. まとめ

今日のテーマは2つ、「完璧」と「日常」であって、対比的に話題を取り上げたつもりだ。理想論を言えば、私は私自身に完璧さを求めていると思うし、はたまた、いたく気に入る歌詞は決まって、日常のささいな出来事をありありと描写したものばかりである。私は、単に完璧さというものに執着しているから、不完全な日常に悩みを持つのだろうけれども、そんな日常にこそ愛だ恋だとかいうものが潜んでいるのだと、当たり前ながら思うのです。