ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

原子力知識の普及について

自然放射線について

 

私は先の一年をかけて原子力の基礎的な, 物理的な知識を得てきた.

もちろん十分な知識には至っておらず, それが十分に成るまでにはもっともっと長い期間が必要なのだとは思っている. 

 

原子力, 放射線を学ぶときに最初にやることがある. それは自然放射線ないし, 環境放射線について体験することだ. 例えば昆布や減塩塩の中にはカリウムが多く含まれており, そのカリウムの核種のうち全体の0.01%程度を占めるK-40は放射性核種であり, 私達は知らず識らずのうちに被ばくしている. 

それ以外にもコンクリート花崗岩系の岩石にはウラン系列,トリウム系列の放射性核種が含まれており, それらかの被ばくも多い. 特に系列途中にはRa-222もしくはRa-220が存在し, それは前後を含めて唯一常温で気体の状態を取るため気管から肺へと入り, ラドンガスからの被ばくは人類の被ばく全体を通してとても大きな部分を占める.

 

常識とはとても不安定なもので, 正しいとは限らない. 放射線なんて自然には存在しないと思っている人間はあまりに多いし, 被ばくをすれば即座に健康に影響があると考える人だって少なくない. 

 

私はエネルギー問題, 環境問題の解決策としての原子力に興味を持ち, 学習を始めた. 

しかしそのうちに放射性廃棄物の処分や原子力知識の普及といった分野にとても興味を持つようになり, いかにこの日本において, 私が生まれ育った好きなこの国に恩を返す方法がないのかと思えば, 原子力を受け入れられるような土壌を作ることが良いのではないかという考えが生まれた. 

 

 

これまでの原子力は確かに嘘ばかりであった. 擁護するつもりもあまりないが, 少なからず大衆の知識不足によるものが多いと考えている. だってその仕組を知っていれば, 自らの考えを持っているのであれば, 人は選択をすることができる. 人間は変化を好まない生き物だから新たな技術に触れる時不安が募る. 技術者たちは自らの開発をすすめるために嘘を付き安全だ, 革新的などと言い張りメリットばかりを示すことで不安を払拭しようとしたのだ. 

現代に於いてリスクコミュニケーション以外の道は残っていない. もうお上が良いといえば良いだなんて時代は終わったのだ. こうした時代に研究を, 活用を続けるには多くの人をリスクコミュニケーションを通じて知識を普及し, 自らの意見を持ってもらうことしかないのだ. 

 

私は原子力を大衆に伝える媒体になりたい. どうすればいいかはわからないけれど. 少しずつ始めていきたい. 

 

 

最後に, これは別に何かを批判するために用いる話ではないが, 小話をしたい.

かつてある民族は石油のことを黒い水, 燃える水として怖がり油田には近づかなかったと言われている. 一方近代技術のルーツである西洋人はそれらを活発に用い, 今ではそれがないと生活できないほどに依存し, その一方で近づかなかった彼らより遥かに技術的な世界を作り上げた. 

別に自然に生きることが悪で現代技術が正なのだとは言わない. けれど人類の発展には間違いなく危険なものを乗り越える力が必要だった.

原子力は第三の火と呼ばれ, 火, 電気に続き新たに我々人類を照らすエネルギーだとされた. 安全な火など存在しない. 便利な火をいかに安全に扱うかが我々人類の普遍的な目標なのだと私は考えている.

 

危険だからといって近づかないのはやめよう. いかに安全に用いるかを考えていこうじゃないか.