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大学院生による独り言と備忘録

地層処分について

この記事は(本当を言うのこのブログ自体が)ただの文句ですが、高濃度放射性廃棄物地層処分について。

 

 

最近青森県六ケ所村の燃料再処理工場が原子力規制委員会の許可を得たとニュースになりました。

私はあまりテレビは見ないのですが、父が見ていた討論番組ではもうひどい。再処理工場に関してひどくネガティブな意見ばかり並べていてとてもじゃないけれど賛成できない。

もちろん私は原子力賛成派の人間なので完全に中立なんて無理だとは思っていますが、文句を言うくらい良いでしょう。

 

 

①再処理について

燃料の再処理は必須である。

なぜなら使用済み燃料の殆どは放射性核種ではないからである。

もう少し言えば、再処理をすることで危険なものと危険ではないものに分けることができる。

例えるならば家庭で出てくるラップのゴミみたいなものだ。

ラップの箱には刃がついてる。なので東京都でこれを捨てるには不燃ごみ(紙ではないもの)として捨てなければいけない。けれどよく考えてみれば紙でないのは"刃"だけである。刃を取ってしまえば周りの箱は可燃ごみ(紙ゴミ)として捨てることができる。

これが再処理だ。

使用済み燃料も、その殆どがウラン238と呼ばれるあまり危険ではない(曖昧な言い方だが)であり、約二割程が高濃度放射性廃棄物プルトニウムなどである。

ウラン238はそんなに危険ではないので(放射線をあまり出さない)ので簡単な防護で処理や処分、保存、利用ができる。しかし高濃度放射性廃棄物はしっかりとした防護をしないと捨てることができない。

もしこれを選り分けなかったら、本来簡単な防護で十分なウラン238まで厳重な防護をしなければいけない。これは正直言って無駄である。

ラップの箱だって紙ゴミに据えれば資源に成るかもしれないのに、(取れるれるはずの)刃がついているだけで資源にできないなんてバカである。

 

なので正直言って再処理をしないで処分をするのは、十二分にウラン資源に対して余裕がある、もしくはコスト重視かつ資源を無視しているような状態である。

 

 

 

②処理して出てくる高濃度放射性廃棄物について

テレビではここがほんとにひどかった。

「再処理をすると高濃度放射性廃棄物が出る」なんて言っていやがる。

正直言って当たり前だ。こんなの海水を蒸発させたら塩が出てくるのと同じくらい当然なことだ。

再処理は何をやっているかというと、使用済み燃料のほとんどを占める無害な核種と、2割ほどを占める危険なものを選り分ける作業である。

よく考えなくてもわかるが、再処理をしたから放射線量が増えるのではない。再処理によって放射性のものの濃度を高めるから高濃度放射性廃棄物が出てくるのだ。そのかわりに放射能が低いものもたくさん出てくる。

こうやって選り分けることによって高濃度放射性廃棄物は必要な防護をして処分し、放射能の低いものはもっと簡単な防護で処理することができる。

 

 

地層処分について

現在日本では地層処分地が決まっていない。

これはたしかに問題である。

ゴミ捨て場がないのにゴミを出してもしょうがない。これはおっしゃるとおりの問題である。

ただ、個人的な意見としては処分地なんて早く決めてもらいたい。ないままゴミが出るのも問題だが、みんながみんな嫌がるのも問題である。

放射線が怖いなんて、家の裏に葬式場は嫌だとか、ごみ焼却場の遠くにすみたいなどという、他人任せで無責任な議論 ( NIMBY問題 ; Not In My Back Yard (私の家の裏はやめてくれ) という必要性はわかるが自分の生活環境下から話してほしいと思う忌避問題 )である。

 

ところで、科学的に言えば処分地は至極安全である。

というのも地層処分は地下300m以深に坑道を掘り、十二分に防護された金属容器を埋めるだけであるからだ。

金属容器は常に水に触れていても1000年以上地下深部で放置しても、錆などで破損しないようにできているし、そもそも水に触れないように周りを粘土で覆っている。その上もともと300mよりも深く埋まっているので地上に出てきようがない。(地殻変動を除く)

処分地の真上だって放射線量はバックグラウンドレベル(自然と同じ)だろう。つまり変わらないってことだ。

確かに高濃度放射性廃棄物を載せたトラックが町中を闊歩するのは気持ち悪いだろう。けれどそもそも輸送の問題から海沿いに作ることが前提となっているので港から直接運ぶことができる、町中になることは少ないんじゃなかろうか。

 

長々と書いたが、私からすれば家の裏に葬式場ができるよりも児童相談所 (追記:当初は青山の高級住宅街に児童相談所ができるという話題でニュースがいくつもあり、各社がこぞって地元住民にインタビューしていた) ができるよりも、地層処分地ができる方が遥かにマシである。だって地上はなんの変哲もなく、その土地は処分が終われば自由に使える。それに加えて処分の最中はそれなりに大きな人数の雇用が見込める。

問題は風評被害だけだ。これが本当に厄介で一般市民に日本語が通じないのが問題だ。感情論は否定しないが、だからといってそれによる罵倒は看過できない。怖いのは十分だがそれだけの理由で有りもしない虚偽を流布して良いはずない。

けれど言ったものがちの世の中、個人の自由を認める限りはどうしようもない。

 日本語が通じないというのはあくまで揶揄似すぎないが、中学理科程度の化学の知識、中学数学レベルの確率論をわかっている日本人、少なすぎではなかろうか。あまりにお粗末な、主観で持って科学を語ってくれるな。対話ができない人間に何を言っても仕方がない。一般人にもわかるように説明をしろ、と言われればもう言い返すことはできないが、義務教育レベルの理科や科学がわからないようにどうやって教えろというのだ。

 

以上が大雑把な文句である。気が向いたら(向かないけど)またなんか書きます。またいつか