ココボロだとか好きだとか

社会人・通信大学生による独り言と備忘録

浜松とたま

『パルテノン銀座通り』や『星を食べる』の作詞を行った滝本晃司。私は彼の楽曲を聞く度に、かつて自分自身が詩人であったことを思い出すのだ。

 

この数日間、台風10号の自由気ままな日本旅行の影響を受け、中部あたりをうろうろとしていた。右往左往しつつ観光を交えながら過ごしていたのだが、もっとも衝撃的であったのは浜松城である。あんなつまらない城(と言い張るナニカ)は小田原城ぶりである。もちろん日本の城といった時、その本質は天守閣ではなく城壁や生垣、二の丸、三の丸など周辺の事物に宿っているのだろうとも思う。しかし、あんな我が物顔で城の一番目立つ位置に居座る天守閣という物があんなにもくだらないものだとは誰にも予想ができないだろう。

日本の城というものを想像した時に、我々が期待するのはその歴史や伝統である。数百年前の人々はどんな空間でその戦乱の世を過ごし、どんな生活を送っていたのか。我々は、人間とともに時を過ごしてきた物を通して、間接的に古人を知るのである。尤も、現存天守は全国に12しかない。江戸時代の破却や明治の廃城先の大戦による消失などによってその数を減らしてきたからである。そしてその後に、戦後の復興のシンボルとして再建されたのが現在日本に存在する多くの城の正体である。この事実自体を私は否定することはできない。郷土という個々別々の人々にとってやや形状の異なる概念を、ある一定の区域の中で統一的な具象としてまとめる一つの存在が天守閣であり、辛い世を何とか乗り越えた先に、(実際に個々人が体験していたかを問わず、想像の中に存在する)かつての栄光を煌びやかに飾り立てるのが城という存在なのである。

だからこそ、浜松城は浜松に住まう人々にとってのシンボルであり、支えなのである。

 

あいにく、私の地元には周辺の人々が郷土といって統一的に思い出すようなもの(それこそ上述の城や神社仏閣など)は残っておらず、また、比較的開発が新しい地域ということもあり近代的な優美な建物(かつての銀行や名士の館など)も同様に存在せず、いまいち郷土のイメージがない。全くつまらない役所・役場の姿やどこにでもあるような普通の駅舎、何とも言えない学校や図書館のある風景などしょうもないものしか浮かばないのだ。

 

先ほどは浜松城に対してつまらないなどと述べたが、それは裏返せばある種私の中の城への憧れが、過度な気体となって表れた結果なのかもしれない。つまるところ妬み・僻みである。そう内省もしてみるが、やっぱり浜松城はつまらない。その心は中身である。コンクリート製なのはいいとして中身がまずい。あんなものは城ではなく単なる博物館でハリボテである。ハリボテでもそれが夢を壊さなければいい、どうにか、城というそのイメージが持つ歴史や伝統を、展示品ではなく建物として表してほしい。当時物でないのはよろしいが、どうにかこうにか、当時風を装う風景を再現して欲しかったのだ。

 

気づいたら浜松城の悪口ばかり語ってしまった。本題は詩人性だ。

数日間の移動を支えたのは「たま」であり、滝本晃司の詞である。すこしあのモノ暗くてしっとりとした表現が私の好みなのだ。難解な単語を用いずに平易な言葉ではっとした感情を表す技術が私の憧れであるのだ。

ああ、たま。ああ、滝本晃司。音数の多い最近の曲も楽しいのだけれど、少し余白を持たせて語りすぎない音楽の方が、ひっそりと思考を紛れ込ませる隙間があってうれしいのだ。期待に応える、あるいは時折裏切るような現代的な頭を使わない楽しい快楽的な音楽もよろしいのかもしれないが、それ以上に頭を使うことそれ自体が持つ楽しさこそが衒学趣味な私にとっては娯楽的であると思う。