常日頃、「やる気があり前向きな人間だったのに」といわれながら死んでしまいたいと考えている。
私の積極性も前向きな姿勢も、将来展望も全て架空に過ぎずただ装うため。死にそうなやつが死ぬよりも、死ななそうなやつが死ぬほうが面白いんじゃないかしら。
街を歩くたびに、あの左車線の車が背後から私をはねないのかと期待している。只の一度も叶ったことはないけれど。どうして誰も私を殺さないのだろう。私は始まりが能動でないのならば、終わりだって受動であってもらいたい。
将来に対する唯漠然とした不安
ありえない日々を願うくらいならばいっそ、何も希わない方が幸いに決まっている。
耐えがたい日々を呪うくらいならばいっそ、何もなさない方が幸いに決まっている。
私は毎晩夢を夢を見るために胸に手を当てて眠る。胸に手を当てて眠れば悪夢を見ることができるらしいから。ただ夜を越えるよりも、悪夢であなたに会うほうが遥かにマシだから。幸いな夢から覚めるよりも、悪夢を思い返すほうが遥かに楽だから。
叶わない夢、敵わない人、適わない私
フレネシのキュプラを聞きながら縋るように言葉を綴る。
私は言葉に救われたから、言葉を続けている。けれど一度言葉を裏切ったから、言葉に殺されかけたのだともわかっている。
私にとって大切なものは私自身で、その言葉が思考の限界である限りはもう二度と手放すことができないのだと理解している。
かつて詩人だった私へ。いや、かつて「詩人ではなかったのだと気がついた」自分へ。
くだらない日々は続きます。どうか、一生懸命生きないでください。
ただ何も否定せず、ただ何も諦めず、ただ一言嫌いだとそう言えばいいのです。
好きなものを願うよりも嫌いなものを避けるのです。
明日が私によって善い日ではなく、只の1日でありますように。
良いジャケットに袖を通すときのようななめらかな思考を否定せずに言葉を綴ることがいつまでもできますように。