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社会人・通信大学生による独り言と備忘録

後世への最大遺物に寄せて

後世への最大遺物、私が学生の頃に読んでもっとも印象に残っている本だ。

私はキリスト者ではないため、著者の内村が真に伝えたいことを受け取れたのかと問われれば、そうではないのかもしれないと答えざるを得ないにせよ、あまりにも愚直で正しいと思われる彼の言説に、私は感銘を受けたのだ。

 

彼の云う後世への最大遺物とは、人生である。以下に私なりに彼の主張をまとめた内容を記そう。

この世の中には、大きな事業を成し遂げあるいは莫大な資産を残し、若しくは良い文学なんてものを遺すことができる人もあるだろうが、我々一般人がそれを真似しようとしたってできはしない。我々が残すことができる最も大きなものは、勇ましい高尚な生涯である。こんなやつですら、これほど素晴らしい人生を送ることができたのだという事実が、周りの人を感激せしめ、奮い立たせることができるのではないか。

以上。まあ勝手要約なので、詳細は原文を確認されたい。(右記の青空文庫のリンクから全文を読むことができる : 内村鑑三 後世への最大遺物

 

かの文章を読んでから、私は血気盛んな若者であったのにもかかわらず、何者かに成りたいだなんて思わなくなった。私は、私ができる限りのことを成し遂げ、世界や国とは言わずとも、その周囲の環境の中で位は、人々を奮い立たせることができるような生活をしたいと思うようになったのだ。生憎私には、学問くらいしか打ち込むべきものが見つからなかったから、どこまでもやりたいようにやったのだ。そして、多々表彰されるくらいにはやり遂げられ、また幾人か私と似たような経歴を追う者もおり、本を読んだ当初の志は、自分の中では成し遂げられたのではないかと思っている。

ただ、まだまだできるはずだ。私は。これはある種の強迫観念なのかもしれないが、私はもっと真っ当に生きたい、現状に甘んじることなく生きたい、いつまでも血気盛んに生きたい。そして、そんなことを希う私の本当の性癖は、全くそんなものではないのだとも自覚している。足りないからこそ希求するのだ。しかしだからこそ、私は最大遺物を残せるのだろう?私なんぞができるのだから貴方も、なんて言ったらこのご時世はパワハラなのかもしれないが、いつでもそう思っている。そして何度でも言おう、人間とはそれほど美しくない、私もそうであるし貴方もそうである。ありのままの本性など、決して素晴らしくもない。私は汚いから綺麗になるのだ、弱いから強くなるのだ、賢しくないから強いて勉めるのだ。

素晴らしくない世を泥臭く生きることこそが人間賛歌である。