ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

ジャネーの法則の深堀1

Nous avons discuté autrefois les faits que je viens de vous signaler aujourd'hui ; ils vous montrent bien que l'explication physiologique est impossible. Les personnages dont je vous parle ont conservé une circulation, une respiration normales, ont le même nombre de pulsations, et apprécient la longueur du temps d'une manière très différente. Cela ne dépend pas de phénomènes physiologiques.

On a essayé bien des systèmes polir expliquer la mesure du temps. Il y a déjà bien dès années (1876 ou 1878) a paru un article du philosophe Paul Janet, qui a eu sa petite heure de célébrité. Son explication était très ingénieuse et amusante. Il prétend que le présent, le temps que nous vivons, est toujours apprécié par rapport au reste de notre vie. Quand nous sommes un enfant de dix ans, une année de notre vie est le dixième de la vie. Le dixième, c'est une partie importante de la vie ; par conséquent, pour l'enfant de dix ans, une année, c'est très long. Quand nous avons vécu soixante ans et plus, une année n'est plus que la soixantième partie de notre vie ; c'est tout petit, beaucoup plus petit que le dixième. C'est pour cela que les gens qui vieillissent trouvent que l'année est courte. Cette explication ne tient pas devant les faits pathologiques où les choses varient indéfiniment.

D'après l'ouvrage de Guyau et le livre de James (p. 625, tome 1) l'appréciation de la longueur du temps dépend uniquement du nombre d'actions que nous faisons. Si nous faisons beaucoup d'actions, le temps paraît long ; si nous en faisons peu, le temps paraît court.

(Pierre Janet, L’évolution de la mémoire et de la notion du temps, p.53, https://psychaanalyse.com/pdf/janet_memoire_temps.pdf)

 

これはフランスの哲学者、ピエール・ジャネーの著作、『記憶と時間概念の進化』からの引用である。ウェブリンクはフランスの精神分析研究者系のウェブサイト、psichaanalisysから引っ張ってきている。ちょっとこのサイトの詳細はつかみ切れていないので、詳しい人に教えていただきたい。

 

ジャネーの法則、あるいはジャネの法則とされるものが巷でがよく話題に上がる。これは、時間知覚(ここでは時間の長さの近く)というものは、年齢の逆乗に応じるという"提言"である。

私はこの話が死ぬほど嫌いだ。他にもメラビアンの法則、ヒヤリ・ハットの法則とか、これらはあまりに単純化して巷に流れてしまったがゆえに、誤った用いられ方をしている気がするのだ。

 

ジャネーの法則への批判は多少調べようと思うとすぐ出てくる。Wikipediaにも注釈で、

なお、ポールの説は時間観念に関する諸説のひとつとして批判的に紹介されている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87)

と表記されている。しかし、未だにジャネーの法則を擦り続ける人がいるのはなぜだろうか。私はここに、"民衆科学"の匂いを感じているのだ。なお、この"民衆科学"というものは私が勝手に言っているもので、なんら専門的な用語ではない。専門家の手から離れ、巷に流布するようになった一見科学的に見られるものを称している。

 

民衆科学と言えば、『水からの伝言』なんてものは、理系の皆が嫌いな話だろう。

学習院によるこの本に対する反論の中にも

「道徳の授業につかうなら、事実でなくても、かまわないのでは?」という見出しが存在する。

その中では、

もちろん、イソップ童話など、事実ではない「お話」を道徳の授業で使うのはふつうのことです。 しかし、そういうときには、それが「お話」だということは、先生にも生徒にも、よくわかっています。
ところが、「水からの伝言」のばあいには、実験でみつかった事実として紹介されているのです。

(https://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/)

という反論がされており、私はこの内容に同意する。

では、ジャネーの法則についてはどうだろうか。

最初の引用をもう一度見てみよう。最初の段落では、「生理現象がまったく一致してる人達がいたとしても、時間感覚まで一致しているとは限らない」との旨が書かれている。

続く二落目が本題だ。「1876年か1878年に発刊されたポール・ジャネの論文で時間感覚に対する面白い説明が紹介された。それは、「10歳の子にとってはその一年間は人生の1/10に値し、60歳の人には1/60に値する。これが、年齢を重ねる一年が短くなる理由である」と。しかし、これは病理学的事実に反している。」

ということで早速、ジャネーの法則とやらは批判されているのだ。

そして三段落目、「ガヨーとジェイムズの著作によると時間感覚の長さは、我々が実行する行動の数にのみ依存するのだという。だから、たくさん行動すると時間が短く感じるのだ」と書かれる。ちなみにこの後、このガヨーとジェイムズの内容についても、事実に反していると批判が行われる。

 

つまるところ、『記憶と時間概念の進化』とのタイトルの通り、時間概念はこれまでどのように考えられてきたかの一例として、ポール・ジャネーの考えが紹介されているだけであり、その真偽や実証実験の有無は語られていない。むしろ、病理学的事実に反する考えだとして批判しているのだ。

 

ポールが時間感覚に対して大胆な仮説を立てたことは良かった。しかし、その実証実験は(おそらく)行われておらず、また後世(甥のピエール)により「病理学的事実に反する」という、ある程度科学的見解を含んだ内容で否定されている。このことから、ジャネーの法則なんてものは「面白い事実」のように語られるべきではない。仮説に過ぎないものを「法則」なんて名前をつけて語るから、馬鹿げた記事で事実のように紹介されるのだ。

理化学系の私としては、法則とはもっと根源的な、実験的事実の積み上げなどによって語られるべきだと考えている。ジャネーの法則が法則でないことは上述の内容から明らかであるが、私としてはメラビアンの法則とかヒヤリハットの法則も、本体は法則でなく規則やルール程度の文言に変更するべきだとも思っている。

皆さんはこれらをどう思うか。

 

 

 

ここまできたらあとはPaul Janetの原著に当たりたい。ピエールは「ポール・ジャネによる面白い"考え"」と紹介していたが、ポールの原文にあたれば何かしらの実験結果である可能性もある(ほぼなさそうだけど)。そう思ったがここから先にはやや困難が多い。私は別にフランス語ができるわけでもないし、英語も得意ってほどではない。試しにフランス語で検索をしてみたが元の(Paul Janet,1876) もしくは(Paul Janet,1878)はそれっぽいタイトルがあまりヒットしない。

wikisourceにあったPaul Janet
Les causes finales(1878出版らしい)を流しみたが、あくまで本の一部のみが公開されており、また公開部分には時間感覚に関する言及がなかった。

https://fr.m.wikisource.org/wiki/Les_Causes_finales

 

ということで、ジャネーの法則を批判するにはまだ研究が浅いが、原文とされる『記憶と時間概念の進化』に当たることはできたし、批判的な文脈で語られたという意味は理解できた。

あとは(いつもながら未来の自分に仕事をぶん投げているが)ポールの出版した本(1876, 1878とその周辺の年度に出版されたもの)に当たることが必要だろうか。

 

ジャネーの法則への批判を今後継続すると共に、メラビアンの法則ヒヤリハットの法則についても感想を喋るような記事を書いていきたい。