ココボロだとか好きだとか

社会人・通信大学生による独り言と備忘録

このごろ

気が付けばまたひと月くらい記事を書いてこなかった。

 

最近私は、私と同じ境遇の人間なら皆悩んでいるものであろう修士論文執筆というものに追われている。正直言って私の所属している研究室はあまり厳しくなく、また修士一年のころの進捗が十二分にある私にとってはただこれまで書いた文章をつなぎ合わせて序論と結論を書く程度で間に合っているのだが、もうひとつ、またひとつと内容を押し込んでいるが故になかなか書き終わらない。むしろこの際どうせなら学部の論文のちょうど二倍の分量になるまでは頑張ってみようかという心持さえしている。

 

そんな最中、なかなか別の文章なんて書いていられない。とか言いながら学会予稿の提出に続いて、国際学会、あとは慶應通信出願用の文章もそろそろ仕上げなければならないし、コンペ用に草書した文章なんて言うのも書ききらなければ収まりが悪い。何かを書いていたい気持ちと、致死量の文章を打ち込んだだろうという気持ちが同居しており、全く持って自分自身の思い通りというものが分からないでいる。

てか修論概要4ページとは知らなんだ。結構重いのではないか。

 

結局のところ、修士二年間で時間に余裕があったのなんて1年の4月から7月、2年の11月くらいであとはずっと忙しさに追われていた気がする。何があったかは思い出そうとしなければ思い出せないくらいには過去の記憶になってしまったようだ。

もう書くことがない。

 

最近は家に引きこもってPCに向かってばっかりで何も刺激がない。バイトはしているが別に家の近くでルーチンワークだから楽しいものもない。車を買ったことは個人的に大ニュースではあるが、忙しさのせいで碌に運転もしていない。貯金が吹きとんだだけである。

まあいいまあいい。

 

いつも話しているが、こういった日々にこそ彩が必要である。私は冬に真っ赤なニットばかりを着ている。誰もが黒い恰好を好む日々にこそ、馬鹿みたいに明るい色を纏いたいのだ。日中は真っ赤だとか真っ青だとかそんな服を着て「そうして夜は、ひとり、純白のシイツに眠る」。ちなみにここ三年ほど、冬の寝間着にはカシミアのクルーネックニットを選んでいるのだが、全く不便がない。温かいしウールのようなチクチク(そもそも私はあまり感じたことがないが)もない。化繊と違って静電気を纏うこともほとんどないし、これが最適解だと思うのだ。

贅沢は特別なことではなく、特別であることが贅沢なのである。

モラビトの言葉だったはずだが、私は純白のシイツと真っ赤なカシミアのニットで、贅沢に夜を過ごすのである。

 

 

何の話をしたかったのかしら。