ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

Fantastic Planetを見て

Fantastic Planetを見た。ただそれだけ。

きっかけは『禁断の惑星』。もちろんサブカルくそ人間なので、それ以前からもかの映画の噂は聞いておりましたが、音声はフランス語、英語字幕とのことで嫌厭していました。が、そろそろ頃合いと思い重い腰を上げた次第です。

 

私の雀の涙ばかりの英語力と拙い国語力によって映画のあらすじをお伝えすると

 

Draag族とOms族という二つの種族が住む惑星Igamを舞台として進む物語。

その惑星はDragg族が全くを支配しているといってよく、彼らは高度な文明を築き上げ、一日の多くを瞑想に費やして生活しています。一方でOms族はDraag族の足の小指にも満たないくらい小さく、誰がどう見てもその力の差は歴然です。Draag族はOms族のことをペットとして飼ったり、あるいはいたずら半分で殺したりしていました。

しかし、Draag族も一応Oms族の知性に対して脅威を感じており、絶滅させてしまおうと主張する者もいれば、これまで通り飼ったりすればいいと考える者もいて、日々開催される議会(議員が議論を行い、民衆はその様子をアリーナから眺める民主的(かはわかりませんがそう思われるよう)な形式)ではなかなか進展は見られません。

そんな中主人公であるOms族の男の子は、Draag族の少女であるTiwaに拾われ、Terrという名前を付けられ飼育され始めます。この少女はOms族に対して穏便な考えを持つSinh議員の娘であったため、Terrは運がよかったといっていいでしょう。

TerrはTiwaの元でどんどん成長していきます。Oms族にとっての一年はDraag族の一週間と同じ長さであり、男の子であった彼はいつしか少年になっていました。

Draag族はヘッドフォンの形状をした学習器具で勉強をするのですが、この器具は音を流すと同時に、具体的な情景 (イメージ、画像) までもを装着者に見せることが可能で、しかも、TiwaのそばにいたTerrにもその学習が可能でありました。こうして、普通のOms達は理解できないDraagの科学技術や文化をTerrは知ることができたのです。

様々な学習をTiwaと共に重ね、青年となったTerrは隙を見てそのヘッドフォンを盗み逃げだします。彼には教育を受けることができるヘッドフォンが何よりも大切に思われたのです。そうして逃げているうちにTerrは野生に生きるOms族の女性に救われ、公園にある彼女の集落へと案内されます。そこは原始的な集落であり、Draag族にもともと飼育されていた、そのうえDraag族の文化や技術を知るTerrは信頼してもらえません。何とか神託的な決闘により滞在を認められたTerrは集落の一員として暮らしていき、彼の知識が集落を発展へと導くのです。

平穏が続き野生の生活にも慣れてきたある日、Draag族はその公園にいるOms族を絶滅させる計画を開始します。毒ガスを撒かれ散々追い回されたOms族は何とか公園から逃げ出します。そして側溝に隠れ今後どうしようかと考えていた彼らは、道を歩く二人のDraagに出会ってしまい、襲われてしまいます。しかし、鬱憤のたまっていたOms達はそのうちの一人を集団で倒し、殺してしまうのです。

このDraag一人の殺害は大きな議論を呼び、公園のみならずOms族全体の絶滅計画を開始するきっかけとなってしまいました。

一方、公園から逃げ出したOms達は安全な場所を求めひたすら歩き、Draag族のゴミ捨て場に集落を作り、また、TerrがもたらしたDraagの文化や科学技術を用いてDraagに負けないくらいの高度な社会を形成するのです。

そんな中、またOms絶滅計画が起こります (というより、Omsにとって高度な文化を作り上げた数年間は、Draagにとっては先の殺人をきっかけに計画された絶滅計画の準備を行う期間であり、その準備がようやく終わり、いよいよ計画が実施に移ったのでしょう) 。その頃、Oms達はその発達した技術でロケットを製作しており、ようやく二台の試作品ができたところでした。まだ完成ではないものの、絶滅計画でみんな死んでしまたら意味がありません。Omsの最後の希望を乗せたロケットはIgamのすぐ隣の星にあるFantastic planet を目指し飛んでいくのです。

そこには大きな白い彫刻がありました。Omsの首から下と全く同じ形をした彫刻がいくつも並んでいるのです。しかしそのすべてに顔はありません。Oms達が近づいて確認していると、見たことのある赤い球体が空から飛来し、その彫刻の首にくっつき彫刻が動き出したのです。

その赤い球体とはまさに、Draag達が瞑想する際に現れる球体であったのです。彼らはFantastic planetにある彫刻の体で踊り、愛を育みます。この瞑想を行う事こそがDraag族の生活の本質でした。Oms族たちはその光景を見るや否や、動き出した彫刻に踏み潰されないようロケットに戻り、そしてロケットに搭載されたビームによって、彫刻を破壊して回りました。これにより、今までは手も足も出なかったDraag達にOmsは反旗をいる返すことができたのです。

Draag族たちはこの状況に慌てふためき、Draag議会は荒れ果ててしまいます。そんな中Tiwaの父親であるSinh議員は「2種族の戦いは破壊を生むのみで荒れ果ててしまう、別の道を探そう」と発言し、議論が終了します。

しばらくの経過後、Draag族はOms族のために新たな星を作り出します。そしてその星はTerra(地球)と名付けられ、2種族間の争いは終わったのです。

 

って流れです。2000文字くらいかかりましたね。

 

 

どうでしょう。伝わりましたでしょうか。今回は敢えてその種族の見た目や文化には触れていません。見ていただければわかると思いますが、触れないことも重要な気がしているのです。

 

さて、このFantastic Planetですが、結構面白かったです。と言っても1時間程度の短い映画ですが、不安になる作画と音楽、独特な動きをするアニメーションや特異な世界観がまあサブカル好みな人間には刺さるのなんの。あとはお話もそれなりに面白かったです。単純な私なんかは、ロケットが飛んで逃げた星(Fantastic Planet)が地球になる落ちかよ......とか思いながら見ていましたが、そう一筋縄では終わらない。もともと、Terrが映画の前半で「彼ら(Draag族)はなぜか生活のほとんどの時間をMeditation(瞑想)に費やす」と語っているのです。そしてその発言を回収する形でFantastic planetでのDraag族の行動が描かれるという形ですね。

また、Terrという名前も明らかなる伏線でしょう。そもそも種族の名前であるOmsって言う音も男性を想起させますし、TerrからTerraになるのもまあ想像がつきます。

後はあらすじでは触れませんでしたが、Oms族は人間の見た目をしており、Draag族は人とかけ離れた奇妙な見た目をしています。普通のお話とはまったくの逆でしょう。どう考えても、高度な技術により星を支配する種族こそが人類で、抑圧される小動物とかが奇妙な生き物として描かれるのが普通の発想です。しかし逆なのです。これにより、この映画を見る私達は普段の行動を客観的にとらえる機会が与えられるのです。

 

アニメーションの動きやTiwaのセリフ、議会の形状やOms族の集落、その他の生き物、惑星の環境、ヘッドフォンなどなど語りたいことはまだまだありますが、もう夜なので寝ます。暇なときに書き進めていきます。

 

先日、日本語字幕のものをAmazonでレンタルし見直しましたが、内容の取り違えはなかったようです。安心。日本語字幕で見るとやはり分かりやすく再発見がありましたので少し残しておきます。

公園でのoms族絶滅計画の際に魔術師の「知識を奪った報いだ」との発言。キリスト教圏であればより意味の強い発言であるように思われます。Terrがヘッドフォンを持ち出してDraag族の技術をOms族にもたらしたこと、そしてその後に絶滅計画との文字が壁に書かれたためにOms族の魔術師が放った発言です。

私達からは明らかですが、この二つの出来事に因果関係はありません。実際、Draag議会では一季ごとに2回駆除を実施しているが十分ではないとの発言があります。oms族の中にも、「かつてDraag族に協力したことがあったが、じっと隠れていれば大丈夫だ」のような発言がありました。このことからも、Terrが技術をもたらしたことと絶滅計画は関係なく、ただの定例行事だったとわかるでしょう。私達からすれば。

しかし、oms族から見れば、確かにそれが報いに見えたことでしょう。実際我々人類も、本来関係ないはずの出来事の間に因果関係を見出してしまう嫌いがあります。

後は有名な聖書の中のお話、こちらは因果関係がはっきりしていますが、知識を得たから楽園を追い出されてしまうお話。そう、知識の果実を食べてしまったアダムとイヴは楽園を追い出されたという話ですね。このFantastic Planetの場合は楽園から追い出されたというよりかは、まあかろうじて住むことができていた居住地からの撤退を余儀なくされた程度ですから、楽園と比べるとショックは小さいかもしれませんが、およそ似通った構図であると思います。また、居住地から追放された後には逆襲を為し遂げるという点はおおよそ神への反逆ととらえてもいいでしょう。

そうして最後にはもともとの神の様な存在と共生する道を作り出し、まったく新しい星すらを作らせてしまうという非常に興味深いエンドというかなんというか。あまり長くない映画にしては示唆に富んでおり、あと2回くらいは見ておこうと思います。