ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

With or Without it ( No Buses ) 和訳

No Buses、With or Without itの和訳です。

どうやら先月までは放射線取扱主任者が、今月は和訳記事が伸びているようなのでついでに和訳しておきます。これでNoBusesが流行ったときも古参アピできるね。

ちなみにタイトルは、「有無に寄らず」とか「あろうがなかろうが」ってのが直訳。私は「僕なんかいてもいなくても同じだろう」みたいな意味だと思っています。

 

例によって歌詞は載せません。一応YouTubeのコメント欄参照と、一部間違いだと思ったところはPVとリスニングでごまかしつつの和訳です。

 

 

以下和訳

 

夜が明けるまで僕はずっと闘ったまま、部屋の中を歩き回ってる

朝になるたび、僕は画一化された形に切り取られるんだ

馬鹿げている

こんなこと、あっている?間違ってる?

 

青い僕の心から"自分らしさ"が持っていかれちゃって

友達もみんないなくなってしまった

 

君なしじゃなにもできないよ

けど君の愛すら全てなくなっちゃって

 

祈るんだ

ボクラハ ミンナ セカイノ シュジンコウ

アリノママデ

おかしいね

待ってよ

もっと時間が必要だ、あれ?そうじゃないかな

 

 

以上

 

なんとなく青春、失恋した男の子ってイメージ。前半が反骨心っていうかロックンロールな雰囲気でだんだん失恋チックな話って感じかな。

無性に文章が書きたくなる日があるんですが、書きたいときに書き、書けないときに無理やり書くことはよろしくないと思っているので、徒然なるままに思いの丈を綴りつつ、和訳で文章量を伸ばしてしのいでいるということです。

 

ところで最終節のカタカナ文字ですが、これは文脈的にカタカナの二文は本心ではないながらも口に出す言葉だと思ったからです。と言いつつも単に私がこの二つの言葉を嫌いなだけかもしれません。

僕らはみんな世界の主人公、ありのままで

これらの自己肯定の言葉は嫌いなのです。別に各々が各々にとっての主人公だとしても、それ以外の人からすれば、お互いがお互い主人公ではないわけであって、私には何の価値があるかもわからない言葉です。後者に関しても、現状に甘んじる人間を私は好きません。もちろん、常に上を見ろとも下を向くなとも言いません。ただ単に、ありのままを受け入れてもらえる場所を探すよりかは、自分を変える方が容易な場合もあるのだと言いたいだけです。

私は他人が可変なものだとあまり考えていません。私にとって嫌いなものはいつまでも嫌いなままだし、私にとって好きなものは大抵いつまでも好きなままだからです。であるからして、他人にとってのそれが可変であるとは考えづらく、対話が可能な時間を考えれば、他人よりも自分自身の方が多く、比較的納得させやすいと思うからして、私は他人の変化を強く願わない。それだけです。

昨今の個性を重要視する風潮は嫌いではありません。しかしながら、それを誰しもに受け入れてもらうべきといった論調は納得できないのです。個性とはお互いをぶつけ合ってバトルするようなものでも、免罪符の代わりに個性の紋所を見せびらかすものでもないと思うのです。お互いが、お互いの個性を知りつつ、一方が譲るとか押し通すとかではなく、話し合って進めていくのが民主主義だったはずでしょう。話し合いによって傷つく人がいるからやめようみたいな風潮が日本にはございますが、傷つくことなんて人が二人以上いれば当たり前で、誰も傷つかないのではなく、誰しもが傷つきつつ、その傷を慮り、だんだんとぞれが少なくなっていく世の中を目指していくべきではないでしょうか。端から誰も傷つかない理想郷なんて存在しないのですから。

以上