ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

太宰治について

太宰治は好きな小説家の一人だ。

 

代表作である人間失格は何度も読み直している。なんていうとメンヘラ扱いで困るが、実際そうなので文句は言えない。

今日は太宰について。私の持っている本は月並みですが『人間失格』あとは『物思う葦』かな。岩波文庫から出ているもの人間失格は『グッド・バイ』と『如是我聞』とが共に収録されておりこちら二作も何度も読み返している。ともに『人間失格』と同じかそれ以上に印象深い作品である。

 

なぜ何度も太宰を読み直すのか、それは『如是我聞』にもあるように"あとに何も残らない"からである。私の尊敬するブロガーさんの記事では「太宰はラノベ」という言葉が出てくるが本当にそのとおり。あいにく私は世間一般の言うライトノベルを読んだことが無いが、太宰の小説を一言で表した良い比喩だと感動している。そうなんだよ、太宰っていうのはライトで後に曳かない小説を書く男なんだよ。

 

ロバート・B・パーカーの『愛と名誉のために』も愛読書の一つであるが、これはまぎれもなく"後に曳く"小説だ。ハードボイルドとは何たるか、男とはどう生きるべきか、愛とはなにか。そんな現代にtwitterでつぶやいたら喰い物にされそうな主題を扱うのがこの小説である。よく言えば勇気や前向きになる力、肯定をくれる小説であり、悪く言えば作者の良しとする思想を押し付けるような小説である。

 

その点太宰は違う。作者自身が主人公というものを肯定することはないし、否定することもない。その他の登場人物を馬鹿にしたって否定することはしない。つまり、彼の小説には正義も悪もなにも存在しないのだ。主人公を軸にその生活が描かれ、時が過ぎてゆく。

我々読者はただ主人公を見守るのみで彼に勇気づけれらることも無ければ、傷つけられることもない。それはまるで現実世界で友人から、"友人の知人"の話を聞くようなものであり、友の目の前で"友人の知人"を否定することが無いように、我々は太宰小説の主人公を否定する気が起きない。かといってその"知り合いの知り合い"の話に特別感化されることもなく、ただ話として聞くだけである。

 

人間失格』を読んだことがある人はわかってくれるだろうが、主人公・葉三をかわいそうだとかあるいはあんなヤツ許せないだなんて思いもしないでしょう?ただ彼の人生を聞いただけ、ちょっとくらい気の毒に思っても、どうしようもないやつと思っても別に特段気にしない。

 

それが太宰小説だ。

 

 

妙な現実感とともに登場人物の日常を覗く。特別学びを得るわけでも怒りを覚えるわけでもなく、"こんな人間もいるのだろう"とただ知るだけ。一つ窓が開くというか、新たな扉といえば言い過ぎでほんの小さな窓から見える景色をただ受け入れる。そんな気分にさせてくれるのが太宰治の小説である。

 

 だから大好きで、ふとした時に読みたくなる。そんな小説、まぎれもないライトノベル(太宰小説)を読む人が増えればいいなと思っている。

 

以上