夢が夢なら
小沢健二の曲の中でも群を抜いて好きな曲だ。
この歌には主人公である"僕"と"あなた"、そして"君"の三人が登場する。
不遇ぶった私の所感であるが、この詞は恋い焦がれる女性(あなた)への愛を歌うと同時に、かつて恋仲だった女性(君)への未練を断ち切ろうと思う男の話である。
小沢健二らしい冬の情景の描写から始まり、別れたはずの恋人と共に過ごすような幸いな夢を見て感傷に浸りつつ、それが夢であることを承知し、単純な美しさに感激する僕。
一人爽やかな夏、華やかな夏を過ごすも酔いが回ると人恋しくなってしまう。夢であったとしても君に出会えたのならと願う。
新たに"あなた"に恋をし、約束の時間に間に合うよう急ぎ足で駅まで向かう。空は高く澄み、はっきりといた手応えは得られない(恋は叶わない)ながらも、憧れの気持ちを強める。
新たな恋が叶わないにせよ、"君"との日々を再び望みはしないだろう。
恋がいつまでも叶わなくても、僕一人だとしても構わないで"あなた"に憧れていようと覚悟する。
やがて冬が訪れ、"君"とふと出会ったとしても格好つけずに新しい僕、自分らしいままでいようと思う。
憧れまではまだまだ遠いのだと実感するけれど、幸いの情景は今も変わらずに煌めいている。
恋人たちの時期が近づき偶然"君"と出会ったとしても、感傷や未練ではなく元気に挨拶を交わしたい。一人が、あるいはそばにいるのが自分ではないことが悲しいけれど、過去ではなく未来を選べるように力強く挨拶を。
人との出会いなんて必然のようで、緩やかに出会っては別れを繰り返している。
人はその時時に出会った相手に手を差し伸べてそっと握り恋人となり、二人で船を進めていくように生きてゆくのでしょう。
向こう岸の恋人たちの灯りを眺めながら、僕は未だに行ったり来たりと進めないで船を漕いでいるけれど。
なんて感じの歌だと思っている。
何が良いって目に浮かぶような描写と、彼らしい文学的な比喩。
ただのラブソングでもなければ失恋でも得恋でもない恋の歌で、あくまで"僕"が感じた幸いや寂しさ、憧れすべてを肯定し、ありのままを美しいと思う様な感性。
こんな人間になりたかった。
幸いな夢を見た時あなたはどんなことを思いますか?
「ああ夢では幸せだったのに現実に引き戻されて残念だ」と思うでしょうか?
それとも「残念な現実の中で、夢くらいは幸いなもので良かった」と思うでしょうか?
私は後者のような人間になりたい。たいてい+から−への変化はストレスですが、それすらもプラスがあってよかったと喜べるような強い人間になりたい。
まあCLAMPからの受け売りですが。
恋の悩みってナルシズムを加速させると思うんですよ私は。
まあ不遇を嘆くよりかはマシなのかもしれない。少しは。