ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

雑多記004

・学問について

 

好きなものを学問として学んでいくことはある程度容易である。

もしくは、人間は自身の学ぶ学問に対して好意を抱きがちである。

 

 

これは原子力放射線というセンシティブな分野を専門とする学生である私からみた感想だが、多くの人が共感してくれるであろう。

 

少し話は違うが、大麻の合法化を肯定・推進する人たち、反対する人たちのうち、マジョリティーはどの様な人たちだろうか考えてみる。

 

きっと大麻合法化を肯定する人たちの多くは、他の嗜好品と依存性や中毒性、健康影響を比べてその安全性を示すだろう。あるいは医療使用や海外での事例を上げてその妥当性を示すだろう。

 

では反対派はどうだろうか。これまでいらなかったのだからいらない。私は使わないし、周りも使わないからいらない。なんとなく不安。でも薬物なんでしょう?などと言った意見。あるいは健康影響が少ないにせよあるのだから、わざわざ新たにもたらす必要はないというのだろう。

 

 

 

これは原子力を学ぶ私の一意見だが、構造は原子力に関する意見と同様だろう。

別にどちらが科学的だとか、倫理的だとかはどうでもいい。

単純に反対派にはその学問を知らない人間が流れやすいのだ。これはしようがない。だって反対をするためにわざわざ時間を削って嫌いなことを学びはしないだろう。相当恨みつらみがない限りは。

そしてこれまで必要なかったのだから新たに生み出す必要がないというのもある程度妥当だろう、ただし人類が進歩を望まないのならば。

 

私は将来原子力に関するリスクコミュニケーションをとれるような人間になりたい。

多くの人に原子力の知識を普及させたい。原子力を普及させたいわけではない。知識がないままの判断は間違いに繋がりやすい。そうして民意が、人類が間違いを犯す前に正しい判断をできるような知識を普及させたいのだ。