ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

雑多記001

第1項、ブルージーンズ

 

かのイヴ・サンローランは、

叶うことなら私がブルージンズを発明したかった

という言葉を残したらしい。

現在もブルージンズは、サンローランというブランドのアイコンであることに間違いはない。しかし、それだけでは飽き足らず、彼はそれほど惚れ込んだアイテムの起源と成りたかったと言ったのだ。その気持ちが理解できないわけでもない。

 

すぐに男性的、女性的と性区別をつけるのは良くないことではあるが、彼の発言はいかにも男性的である。昨今ではともかく、処女を特別視する男性は数多おり、彼の趣向がどうであったとかや肉体的なことは別として、様々な対象・事象に対する男性の"初めて"へのこだわりは、一生女性には理解できないものだと私は考えている。

実際ブルージーンズの発明は彼のものではなかったが、彼のブルージーンズへの貢献や熱意は誰の目に見ても明らかである。そもそもブルージーンズの発明者など知りはしないがサンローランなら知っている、そんなこともザラである。

一番や初めてに拘ることがなければ、彼は自身の業績をもっと評価することができただろう。実際、彼は他人から評価されていた。しかし、それらに満足していたかは不明である。最も不満足こそが芸術家たる条件であり、完成や完璧、究極を目指す営みこそがファインアートであるのかもしれない。

 

 

第2項、生食連鎖

 

私達の食生活は基本的には生食連鎖でもって成り立っている。それはつまり生命を食するために殺すことである。一方対義語には腐食連鎖なるものがある。これは一般にミミズなどの土壌動物や微生物等に多く該当する。また一部の肉食獣や鳥類にも存在し、これすなわち死んだ生命の体を食する行動である。

 

われわれ人間には基本的には死んでしまったものを食わない。たとえ家畜であったとしても殺す前に死んでしまったものには手を出さない。どの命も尊いと、平等だと考えるならば生食連鎖とは間違いなく大罪である。多くの人間は動物に対して、もっと言えば少なくとも脊椎動物に対して自らと同じかそれに近しい生命の尊さを感じている。であれば生食連鎖は間違いなく罪の意識を生む要因であり、生そのものが罰である。そんな考えに至るのはいかにも当然である。古来よりの宗教の中には食を罪とする戒律や肉食の禁止・規制が遍在している。

ではなぜ人類は腐食連鎖をタブー視したのか。それは純粋に衛生上の観点からだろう。衛生という言葉はともかくとして、腐食連鎖は感染症や食中毒の可能性が大きい。古代において原因などはわからなくても経験則として危険、安全の知識が備わっていった結果なのだろう。古代、宗教規則は間違いなく科学であったのだ。

閑話休題

 

生きるために殺さねばならないのは間違いなく我々人類の定めである。ただしそれは動物に対するものだけであろうか。美しき花に儚き命を連想するのは私だけではなかろう、あの大木に生命力を感じないものはなかろう。彼らからその果実を奪うことは罪ではないのだろうか。アダムとイヴの行為は即ち、その大樹の、その小さな子供を奪ったことにほかならないのである。