ココボロだとか好きだとか

大学院生による独り言と備忘録

放射線取扱主任者試験 概要

今回は放射線取扱主任者(以下、RI主任者と略します)についてのまとめ記事です。

 

段落は

・そもそもとは放射線取扱主任者とは

・試験概要

・免許取得までのながれ

・私の受験記、感想

の4つです。

 

次の2つは参考になるサイト(試験のHPとwiki)です

 

[1]原子力安全技術センター, 放射線取扱主任者試験

https://www.nustec.or.jp/syunin/syunin01.html

 

[2]wikipedia,ガンマ線透過写真撮影作業主任者

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%B7%9A%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E4%B8%BB%E4%BB%BB%E8%80%85

 

 

 

 

 

それではここから本文です。

 

・そもそも放射線取扱主任者試験とは

RI主任者とは、放射性同位体を使用、販売、賃貸を行ったり、放射線発生装置を用いる事業者は放射線取扱主任者を選任しなければならないとされています。

RI主任者には3種、2種、1種が存在し、番号が小さくなるほど取り扱うことのできる放射性物質等の幅が広くなります。具体的には、3種は放射線源の販売や、指定数量の1000倍以下の密封線源の使用のみ。2種は3種+密閉線源で10TBq以下の許可使用が解禁。1種は密封の有無や放射能の上限なく全て取り扱いできるようになります。

また、放射線発生装置、いわゆる加速器の使用は1種のみに限られるので将来加速器に関わりたい人は早めに一種を目指したらいかがでしょうか。

 

 

・試験概要

 

RI主任者は3種、2種、1種存在しますがこのうち3種は10万円程度かかる講習を受け、修了試験に合格すると免状を受けられます。2種と1種とも講習がありますが、講習を受ける前には試験に合格している必要があります。そのため、本稿ではこれら試験についてを話していきたいと思います。

 

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第2種 放射線取扱主任者試験


試験料:1,0389円

試験科目

 ・法令 1時間15分

 ・実務 1時間15分

 ・物化生 2時間

 

 問題は基本五肢択一式ですが、実務、物生化の後半には多肢択一問題があります。回答はマークシートです。試験は1日間、午前に法令があり、午後に実務、物生化です。受けてないためあんまりいうことありませんが、とりあえず科目ごとに感想を書いときます。

 

法令は言うまでもなく関連法令について、主には「原子力基本法」「RI規制法」の二つ。あとはRI規制に関する省令、規則、告示に数量等の詳細が定められていますがその程度。被ばく線量限度などに関しては労働安全衛生関連の「電離則」も含まれますのでご注意ください。

 

実務は測定技術や管理について。法令がちょくちょくかかわってくるのでご注意を。それ以外にも核種の半減期やおおよそのエネルギー等(ほかの核種と比べての大小)が出題されたりするので基本的なものは覚えておきましょう。

 

物理に関しては難しい問題はまず出ないのですが、放射線に関する現象について理解ができてるかが焦点です。大前提として組立単位が分かっているかどうか、その次の原子力分野特有の単位についての理解度が試されます。あとは各現象についての詳細、反応に伴い放出される放射線の種類や反応確率とエネルギーとの関係などなど。挙げればきりがないですが、相対論についても若干出ますので理解できなくとも式くらい覚えておきましょう。

 

化学は高校までで言う化学というよりも大学化学(当たり前ですが)なので結構物理にも近いです。基本的には元素に着目ではなく核種に着目した問題が出題されます。核種の半減期放射線のエネルギーなど基本的な情報を覚えているかどうかなどが問われ結構暗記ゲーなので頑張ってください。

 

生物についても、化学に引き続き暗記ゲー。被ばくに際して放射性感受性の大小を問われたり、様々な疾病のしきい値なども出題されます。あとは高校生物程度の細胞に関する知識(分裂周期やDNA配列など)もかかわってくるのでなじみがないとつらいかも。
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第1種 放射線取扱主任者試験


試験料:1,4565円

試験科目

 1日目

 ・法令 1時間15分

 ・実務 1時間15分

 ・物理 1時間50分

 2日目

 ・化学 1時間50分

 ・生物 1時間50分

 

問題は基本五肢択一式ですが、法令を除く各科目の後半には多肢択一問題があります。回答はマークシートです。各日の最終科目は所定の時間で途中退室が可能になります。

 

2種と同じように、科目ごとに書いていきましょう。

 

法令は、2種と比べて1種では取り扱うことのできる核種の量が増えますので、その部分がちょっと追加。あとは各免許によって取り扱える範囲とか、申請、許可、届け出とかの区分も出ます。それともう一つ、加速器についても1種は取り扱えるようになりますので、お忘れなきよう。といっても法令はあんまり変わらないです。

 

実務。法令と同様、2種と比べて増えた分をしっかりカバーしましょう。私の時は出だしからゲルマニウム半導体検出器などの比例計数管のチャンネルと入射エネルギーとの関係などがとわれました。この問題は放射線と物質との相互作用の理解も問われており、実務はもちろんですが、物理についてもしっかり理解していないと取れません。当たり前ではありますが、実務の知識というものは、物化生法の応用力が問われますので、それぞれの科目をしっかり理解することが大切でしょう。

 

物理、化学、生物については、ほとんどいうことはありません。二種と同じく五肢択一式ですので基本的には同じような問題です。ただし、科目が分かれた分ボリュームがめちゃくちゃ増えてますので、対策時間はそれなりに必要です。また、それぞれの科目の問31,32は選択肢郡から回答を選ぶ形式であるため、やや難易度が上がります。これらの問題はもともと「物化生」という科目であった部分が分配されたようなものですので、過去問を使うのであれば、物化生が科目としてなくなったからといって放置するのではなく、しっかり解くべきでしょう。

 

・免許取得までの流れ

免許取得のためには試験合格のみでは足りません。試験合格はあくまでも、講習の受講資格であり、試験合格後に2種なら2種、1種なら1種の講習を受講し、その最終日に行われる試験に合格する必要があります。

2種の場合は3日間の講習を受講します。受講料はおおよそ10万円程度です。受講会場によって値段がやや異なり、宿泊施設の質も異なるようですので、様々調べてみることが良いでしょう。

1種はさらに日数が増え五日間、17万円ほどの受講料となります。主催者によっても講習の予定が大きく異なりますが、アイソトープ協会は非常に多くの講習が開催されておりますので、調べてみてください。

なお、試験には年齢制限がないのですが、講習は18歳以上が対象となっております。高校生などお若い方はもうしばらくお待ちください。

 

 ・私の受験記、感想

 

私が受験を決めたのは大学一年の夏。目標を失って死にかけてた私はなにか縋るものを探し、二年のうちに放射線取扱主任者試験を受けることを一つの目標にしました。

そのための足掛かりとして11月にエックス線作業主任者を受験、翌年の夏に向けて3月に放射線概論を購入しました。それ以外の参考書は大学の図書館で借りて使っていました。

そして来る4月。そうコロナ。コロナウイルス流行のため大学が休校となり春休みが1月半伸びました。あまりに暇になっては荒んだ生活に陥ってので、規則正しい生活の為、4月に入ってからは大学の授業時間割をもとにRI主任者試験の勉強時間割を作成して勉強をはじめました。

この頃はまだなんの知識もなかったので、放射線概論をひたすら読んでました。多分この4月の間に3週くらいしたかな。問題はほとんど解いていませんが。

 

それで、5月くらいかな。本来であればお盆明けにある試験が延期になったのです。日程は未定。そんな情報が公開されてさっとやる気がなくなりました。

特段理解できていたわけではないですが、やる気もないのでほとんど放置。ほぼ同時期に大学も始まりましたので(オンライン)授業で手一杯でした。勉強を再開したのは9月かな。

9月はまた別の事をやり始めていて忙しかったのですが、技術士一次試験を受けると決めていたので、その足しになればとちょっとだけ復習。1周くらい。技術士一次試験は別の記事がありますので詳細はそちらで。

たしか夏ごろには12月へ延期したとのお知らせが入っていたような気がします。

で、なんやかんや忙しく、技術士一次試験を受けてからはまた放置、次は12月。

12月に入るとようやく勉強に本腰を入れ始めました。と言っても大学の授業もあるし、アルバイトもしてるし、他の予定もあるしで別に余裕はありませんでしたが、余裕がないからこそやる気が出るってもんですよね。このころは放射線概論よりも、試験対策用の参考書、よくある「一発合格」とか「●●週間で」見たいな参考書を使って一問一答的な問題を繰り返し、週に一度模擬試験、最終週にはほとんど模擬試験の解き直しをしてました。

 

そして来る試験日、あまり乗らない電車で初めての駅に降り立ち試験会場へ。会場には人がたくさんいたし、寒いのにも関わらず会場は換気のため非常に寒く最悪な環境。

場所は外語大だったので、目の前にコンビニはあっていいのですが、確か駅から遠く息はバスに乗っていったかな。帰りは歩きで帰ったので、多分徒歩範囲30分以内だったと思います。駅周辺はいたって普通で特段語るべきことはなかったはずです。

 

一日目の受験では、得意な法令と実務を無事終え、来る午後の物理。私の年の物理大門31,32は加速器についての多肢択一問題でした。これがわからない。加速器サイクロトロンやシンクロトロン、タンデム型、バンデグラーフなどなどいろいろ見たいことはあるものの、動作原理なんてただ磁場をかけてフレミングの左手だよな~程度の理解しかしてなかったので、よくわからない。そもそも加速器にはさほど興味がなかった学生だったので、解けませんでした。

各日の最終科目のみ、試験開始から1時間で途中退室が認められていますので、残り2,30分ほどを残して帰りました。分からない問題に悩むよりもさっさと帰って翌日に備えようと思ったのです。なぜなら私は化学が苦手ですから。

二日目も一日目と同じく、余裕をもって到着。自宅は外語大から近くないものの、宿泊するほど遠くもなかったため、自宅から二日とも通いました。今でしたら多少お金に余裕があるので近くに宿泊していたでしょう。試験日の余裕ほど大切なものはありませんから。ということで、余裕があるならば都民や近隣県民であっても宿泊をお勧めします。どうせ年に一回しかないのですから、惜しまず行きましょう。

二日目の科目については特段言うこともありません。化学は苦手科目なので私の合否は化学で50%とれるかどうかでした。手ごたえとしてはまあギリギリかなくらい。化学も生物も110分とかなり長い試験なので、化学が終わり次第すぐに昼休憩、午後に生物でした。生物は久しぶりの塩基配列の問題とかで楽しかった記憶です。

 

まあなんやかんやで二日間の試験を終えて、あとは正誤発表と合格発表待ちでした。

そしてこの正誤発表までが非常に長い。12月末日に試験を受けて一月後の2月1日にようやく正誤発表。みんなでつくる解答速報を使って採点とかもしましたが、技術士一次試験の経験によると意外と役に立たない。技術士の際も同じサイトで答え合わせをしてましたが、その結果だと不合格。しかしながら実際は合格であり、意外とみんなも間違えているのだなあという感じです。それに五肢択一式の採点はできるのですが、多肢択一の場合は、フォーマット的に集計が難しいのか、採点できません。確か、twitter放射線取扱主任者試験の問題解答かなにかを作ってるアカウントがあり、その方の情報を活用していた気がします。

そうしてひと月待ちようやく採点。結果は正答率63%でギリギリ合格。問題だった化学よりも物理の方が正答率が低かったのでした。ちなみに、試験はそもそも配点を公表していないため、問題数ベースで6割はやや不安でした。6.5割もあれば、まあ大抵の配点であっても心配いらないと思いますが、ギリギリのラインだと配点によっては落ちかねないので、安心のためにももう少し点数が取れていればと思います。

合格発表は3月の28日。みんな3月1日には合格発表だと思っていたので5chのスレはずっと荒れ気味でしたね。結局受験から3か月ほどたっての合格発表なので散々じらされたというか、もはや忘れかけていたというか......。たしかtwitterか何かで話題をみてサイトを確認しにいった記憶があります。

また、合格者は官報に掲載されます。官報に名前が載ったのは二回目。技術士一次試験と放射線取扱主任者試験です。技術士は対して勉強もしなかったし、そんなに思い入れがなかったのですが、主任者試験は原子力分野としては結構大事な試験ですので、記念品として官報を購入しました。なんかネットで販売しているサイトがあり、発刊日と発刊名称が分かれば1,000円くらいで買えたはずです。私が買ったのは合格から半年後くらいで、ふと思い立って購入したものなのであまり覚えていません。が、この官報購入は発刊から1年以内じゃないと対応してくれませんし、また、ネットで官報が見れるのは発刊から1月以内なので、内容を確認してから買うためにはできるだけはやい方がいいでしょう。私は安全技術センターでの記載名称とネットで官報での発刊名称を見合わせながら購入しました。相当いいことももしくは悪いことをしない限り再び官報に名前が載ることはないので、いい記念品になりました。

 

 

まあ長くなりましたが、なんやかんや以上です。

nomaddと一汁三菜椀から、日常生活における食器のデザイン性と機能性の限界についての考察

gatomikio-store.com

 

昨日twitterでもつぶやいたが、我戸幹男商店(ガトミキオショウテン)の一汁三菜椀に感動した。

 

もともと食器が好きで、『No.9 CAMUSのカラフェ』でも語ったが、一人暮らしをするのであれば、Narumiの白色のnomaddで日常使いの皿をそろえたいと思っていた。Eileen GrayのE-1027に出会ってから、モダンデザインに憧れている。そもそも無駄のないデザインが好きなのだが、nomaddはすごい。クラシカルなというか普段目にするような器は大抵、リムと呼ばれる縁幅が大きく取られる傾向にある。しかしnomaddはどのサイズの皿であっても、同じだけの細い縁取りのみで曲面をほとんど利用しない。こんな話、何だかSEIKOのデザインコードを思い出すのは私だけだろうか。

nomaddの、一切余分な装飾がなく、艶やかな素材を美しく引き立てるこの必要最低限のデザインは、日用の食器の限界を映し出しているように思われる。この限界とは悪い意味ではなく、装飾を行わないことに潜む器性の強調を意味している。器の機能性を損なわず、通常食材を強調するために採られる、いわばキャンバスの余白部分の機能を持つリムをなくすことによって、つまり正攻法とは全く逆の手法を執ることによって、一般の食器が行うことができないほどの強調を却って手にしたのである。

 

 

もう一つ、このnommadは重ねられるのだ。なんだ当たり前のことを言うな、と聞こえてくるがそうではない。

narumi.meclib.jp

以上はNarumiのカタログからの写真だが、同じ直径を持つ器同士を重ねられる。12cmのプレートは、12cmのボウルの蓋にもなり得るのだ。

スタッカブルな器は少なくなく、様々存在するが、重ねた時の無駄のなさもnomaddの良さだと思っている。

 

気が付いたらnomaddの話になってしまった。本題は我戸幹男商店の一汁三菜椀についてだ。

wayocraft.com

この椀は写真一枚目のようにスタッカブルだ。なんだよこいつスタッカブル好きすぎだろ、って言われると返す言葉はないのだが、とにかくいい。あまり大きな器ではないが、この一つに見える器が五つに分かれ、一汁三菜という日本の伝統的(伝統的な食事なんてせいぜい江戸からなので大した伝統でもない)な形を賄うのだ。つまりこの一式だけで日常が完成し、そしてそこに無駄が一切ないのだ。同心円で削られたそれぞれの漆器にはもちろんほとんど装飾性がなく、ただただ機能に重きが置かれた食器なのである。

男性には物足りない容量に思われるが、「人は目で食事をする」と言われるように器いっぱいにもりつければ、きっと満足感は損なわれないだろう。

 

私はミニマリストではないが、もしもミニマルを気取るのならばこの一汁三菜椀の黒を購入し、日々を送るだろう。

これまで、和食器にはあまり興味がなかった。なぜなら装飾の排除が困難であるからである。和食器は伝統的な形式(伝統的な食事なんてせいぜいry )形に固執している。金粉や螺鈿を用いた装飾は実に美しく、憧れではある。しかしながら日常生活に紛れるかといったら別問題である。日常の工芸はおおよそ西洋技術や機械化工業により淘汰され、伝統などというものは大抵高価なモノに追いやられた。というより、伝統と工業が生存競争をした際に、伝統は単価を高めることに活路を見出し逃げて行ったのだ。そのもっともな例は和服である。日常で和服を着る人々がいるのはその通りであるが、大多数の人間にとっては、和装とはハレの日(非日常)に身に纏う、特別な、そして高価な衣服になってしまった。そこにケ(日常)は存在しないのだ。

伝統とは、古来から存在し言葉では伝えられない先人たちの導き出した回答である。ある種の答えである概念や生活を後世へと受け継ぐことができる一方、新たな答えにたどり着くことはない。伝統が常に正答ではないし、かといって革新がいつも正しいわけではない。しかしながら、どちらか一方のみに終始するのはあまり得策ではないとおもうのだ。

我戸幹男商店の一汁三菜椀は伝統的な山中漆器という枠組みの中で、その類稀なる技術をもってして、そして全く新たな想像力に誘われ、一汁三菜という形式を現代的な製品へ押し上げた。nomaddが持つ美しさは装飾性の排除と機能性の強調にあるといったが、この一汁三菜椀も同様、装飾性を排除したうえでの機能性の追求、伝統の保持そして伝統からの脱却という観点を有している。これが止揚なのであろうか。

 

私はRosenthalのスタジオラインの理念である「日常に芸術を」という言葉にひどく感銘を受けているため、食器に関してやけにこだわるきらいがあるのだろう。私から見て、この我戸幹男商店は上記の言葉と全く同じ価値観を有していると思わざるを得なく、日常生活に伝統と芸術とを持ち込もうとした回答が、この一汁三菜椀なのだと考えている。

金沢の山中温泉ということで、関東に住む私にはやや遠いが、購入するのであれば本店に伺いたい。3万円くらいする食器であるが、一つ6,000円と思えば安いかもしれない。いや、十分高いか。

 

このブログは趣味の開拓と備忘録と言いながら、欲しいものや買ったものの話ばかりしている。そろそろカメラの話に戻りたいと思う、今日この頃である。

No.9 『CAMUSのカラフェ』

CAMUSのカラフェ

水を飲む。たったそれだけの行為にどれだけの重要さを見出すのだろうか。

人間は水を飲まなければ生きていけない、というのは過言であるだろう。一日に必要な水分量の約5割は食べ物から得ているのだから、もっと水っぽいものを食べれば、水そのものを飲まずとも生きていけるのではないだろうか。

また、この運送技術や食品の保存技術が発達した昨今では、家にいようとも喫茶店と同じような珈琲や紅茶をパック詰めで簡単に入手することができ、あるいは海外から取り寄せた貴重なワインを気軽に楽しむことができるのである。

では一層、こんな時代では"ただの水"など飲む必要などないのではなかろうか。

 

このカラフェはもともとコニャックが入れられていた容器である。BACCARATのクリスタルガラス製の容器で、幾何学的に引かれた溝や素直にくびれた注ぎ口など無機質な美しさが内在している。

朝日の頃、この容器は最も美しく輝くのである。まだ寝起きの時間の、若く力強くありながら柔らかな陽の光を纏う時、このクリスタルガラスは無色透明に、かつ自然界に存在する一切すべての光を孕みながら美しく呼吸する。その姿は非常に無機質でいながら、どの瞬間も常に移り変わる生命の様な光沢を有するのである。

 

 

実はこのカラフェ、二代目である。本当はCAMUSの刻印の入っていない、まったく無地の容器を購入し半年ほどウォーターピッチャーとして利用していたのだが、不意に小突いて机から落としてしまい、泣く泣く二代目を購入したのだ。もとはCAMUSの古酒が入っている商品であるため、容器のみであれば幾分か安いのであるが、腐ってもBACCARATのクリスタルガラスであり、数千円はくだらなかった。

 

また、私は生来の無精者であるから、水なんぞに拘ったことはない。ペットボトル詰めされた水を飲む者はなんとなく気取って見えるし、水道水が至らないと思ったことはない。

というとやや嘘が混ざっている。以前千葉で少し過ごした時、水が合わなかったことがある。自宅と同じ銘柄の紅茶を自宅と同じ方法で淹れても全く味が違かった。千葉で飲んだ紅茶は恐ろしく不味く、これが水の違いなのだと思わされた(あくまで私に水が合わなかったのであって、不味いというのは味の良し悪しではなく、口に合う合わないという表現である)。一方、東北のスキー場に泊まった時はあまりの水のおいしさに感動し、永遠に白湯を飲み続けたこともある。

であるから、水の好み自体は私にもあるものの、水道水そのものがまずいと思ったことはない。千葉の時も、紅茶の味に違和感があっただけで、水そのものや白湯にした時には別段好き嫌いはあまり感じなかった。

しかしながら、変なものに拘る性分であるから容器に惹かれてしまったのだ。私は日に2ℓほどの水を飲むように心がけており、飲んだ量が分かるようにいつも500mℓの透明な水筒(金属製だと匂いが移って厭なのであった)に入れて飲んでいた。毎日幾度となく行う行為であるから、日常にこそアートをという表題よろしくカラフェの購入に至ったのだ。

 

唯の水瓶に使い勝手もくそもなく、ただの容器である。強いて言うのであればガラスなので重い、それだけだ。元のプラ容器の方がはるかに軽く使い勝手がいいのであるが、見た目よりも重要なことがあるだろうか。"丁寧な暮らし"なんてVlogに憧れることは未だないのであるが、使いたいものやよく使うものにこそ好きな道具を用いることは、納得感を上げる有用な手段なのだと思う。

 

余談ながら以前から食器が好きで、NoritakeのJulietよろしく様々集めたいと願っていたが、今一番欲しいのはRosenthalのスタジオラインはダブルステムのワイングラスである。

一人暮らしをする際にはNarumiのnomaddで器をそろえ、クリストフルの、五十嵐威暢のTI-1のカトラリーで生活をしたい。茶器はやはりNoritake×Marc Newsonだろうか。あまりにモダンに寄りすぎている気がするのだが、「アートのある生活」というRosenthalの表題のように生きていきたいのだ。

No.8 『Nike の Airmax coco』

 

Airmax coco

 

そういえば、Airmax cocoを購入しました。

本当はスクエアの写真を撮るべきなのだけれど、基本的にはα-sweet disitalで撮ったものを後から加工して正方形に直しているので、遠目からとらないと見切れちゃうんですよね。

 

ずっと欲しかったシューズの一つで、夏と言えばサンダルとのことで購入しました。ナイキ会員は、誕生月の購入で20%OFFになるクーポンが配布されるので、実質9,000円くらい、並行輸入とかで買うよりも安いしサイズが合わなければ返品・交換もできる。もう買うしかないね。

履き心地はウワサ通り軽やかで、身長も高く見えるし(ヒール約8cm)サンダルだから涼しいしで最高です。

しかしながら、ヒール側面が丸っこくて慣れるまではちょくちょく転びそうになりました。いまでも、側溝とかで斜面がかった道だとバランスを崩しそうになります。

 

私はファッションが好き(語弊がある言葉で、変態的なファオタではなく、消極的な服好き程)ですが、もともとこの好きは革靴から始まり、テーラリング、ミリタリーと降りてきているので、サンダルはあまり得意ではありませんでした。そもそも脛を見せるなんてルール違反ですし......(紳士並感)

でも今はソックスを履いてサンダルも許されますし、何よりこのくそ暑苦しい中革靴を履き続けることに困難を感じつつあったので最近はよく使っています。また、プールに再び通い始めたこともあり、その際には必ず履いていきます。濡れた足で靴下吐きたくないですから。

 

とのことで、Airmax cocoでした。ちなみに私は、スニーカーなら25.5か26、革靴なら24.5を購入しています(単位省略)。一応上の部分の金色のストラップで多少のフィット感の調整を行えますので、ハーフサイズ大きい、26cmのAirmax cocoを購入しました。結果、ちょうどよかったです。レディースサイズですが問題ありませんでした。

シンプルなデザインなので私の普段着と合わせても概ね問題はありませんし、安く変えたので本当によかったです。

 

No buses / Alpena 和訳

今回はNo buses の Alpenaの和訳です。

昨今のコロナ渦を歌ったような曲で、結構好きな曲です。

 

 

以下和訳

 

夜中走り続けて

僕にそのことを教えてよ

夜が始まる前に ※1

どうやって生き抜けばいいか教えてよ

学校はオンラインで

僕に何も教えてくれなかった

もしも君が"良い子"になりたいのなら

自分自身で学ばなければいけないよ

 

僕の中にある暗い部分が

いろんな事をみんなナイフで切り捨ててしまうんだ ※2

彼らのことは話したくない

だって、彼らはただ、校庭で話しているだけだから

僕はそんな楽天家にはなれないよ

僕にこの世界についてすべてのことを教えてよ

学校はオンラインで

今夜の"教え"なんてものは僕にとって無意味だった 

 

電話してもいい?

僕がやるべきことをみんな教えてよ

僕が知っていることなんて、親が教えてくれたものばかりだから ※3

 

君のやることが気に入らないね ※4

君がどこにいようと捕まえる

お母さんみたいに教えてあげるから

 

※1 Earky in the night の和訳。本来は夜の始まりにってところですが、なんとなく気に入らなかったので夜が始まる前ににしました。

※2 I'm kiling everything with a knife の和訳。僕はすべてのモノをナイフで殺してしまう。ってところが直訳ですが、まあ言いかえました。

※3 One thing that I know is I'm like my mother の訳。僕が知っていることはお母さんのものと同じ。という事なので、僕が知っていることは親がすべて教えてくれたとしました。

※4 訴えてやるってのが直訳ですが、sue me といった場合は痴話喧嘩の売り言葉で「だからなんなの?」くらいなので、sue youを逆に「君の言動が気に食わないんだよ」くらいに訳しました。

 

以上

 

今回はNo buses のAlpenaの和訳です。少し前に出ていた楽曲で、ゆったりとしたふんわりと暗い音楽に、けだるそうな歌い方が印象的です。またサビに入るギターリフが非常に印象的。サビ入りのメロディーの変化の、暗かった森が急に開けたような雰囲気にが好きで、久しぶりに聞いたらはまってしまいました。

本当は先日出たI'm with youの方を和訳しようかと思ったのですが、なんか聞いていたらこっちにハマってしまったので、優先順位を変えたのです。

そもそもこのAlpenaはアメリカ、ミシガン州の都市の名前です。曲名の由来は知りません。

 

1990年代後半から、2010年代の初期に生まれた我々の様な人間は巷でZ世代と言われるようですが、そんな私達"若者"の苦悩を歌った曲でしょうか。大人が言うような"昔は良かった"の対抗馬として"今の僕らは辛いんだ"というつもりは無いですが、なんとなくやりきれなくなる気持ちが私には常にあります。

デジタルネイティブだから当然PC・スマホを自由に扱えるよね、オンライン授業だとしても自ら進んで勉強するのは当たり前・できないのは自己責任、インターネットで情報は集められるんだから何でもわかってるでしょ。といったような高いハードルが私達にはある気がするのです。もちろん、これまでの世代の人々が若いころにも同様の風潮があったのかもしれません。だとしても、世代特有の悩みから人類全体の悩みにシフトするだけで"悩み"であることに違いはないのです。

歌詞にあるような楽天家には、私もなれませんでした。常々言っておりますが、私は田舎のDQNに生まれたかった。高校を卒業して地場企業に就職して、若い恋人と共にすぐさま家庭を作り子どもを育て、厭に厳つい、あほみたいな顔をしたでかい車に乗って、パツパツのジャージに、白のキャップでもかぶって、テレビや世間に文句を言うような人間に生まれたかったのです。

これは間違いなく私の良くない偏見が混じって(多数を占めて)いるのですが、お互い様でしょう。私は彼(女)の様な人間にはなれないし、彼(女)らも私の様な人間にはなれなくて、なんとなく、自分の人生の方がいいと思っている。ただそれだけのことです。

 

 

私にとっての悩み事はいつも同じ、不満足なソクラテスよりも満足な豚であるべきかどうかです。150年ほど前に死んだ哲学者、J・S・ミルの言葉に未だ囚われているがために、こんな下らない文章を書き続けているのではあります。私はいつも同じ結論、"勇気をもって"不満足なソクラテスを生きることを選ぶのですが、選びたくないという心持は言うまでもありません。向上心の無い奴は馬鹿だという言葉は漱石ですが、人間は何もしたくないのです。辛い今はいやだし、かといって辛い未来だっていやなのです。

余談ですが、最近キュウソネコカミの『DQNなりたい、40代で死にたい』を耳にする機会があり、この陰鬱とした心持をpopに表現する人たちがいるのだと知りました。ぜひ一度お聴きください。

 

努力は必ず報われれるという言葉も嫌いです。我々世代は環境が十分に整えられつつあることもあって、却って自らの無能さを自覚することに慣れているのです。整えられた人工的な(他人が作った)希望なんてものはすぐに嘘だとわかってしまうのです。

 

なんだか厭なことばかり書き綴ってしまいましたね。この曲のキーは結局、他人からの教えを請い続ける部分だと思うのです。

この学習に対する受動的な態度こそが、どことなくティーンネイジャーマインドを感じさせるというか、我々z世代らしいというのか。現代はインターネットさえあれば、(国内であれば)どんな場所でも、ありとあらゆる情報に触れることができ、"話を聞く相手を選ぶこと"ができます。もはや空間の隔たり少なくなったことにより、一層私達の環境は画一化し、個人の資質が問われる時代になりました。それに加えてのSNSです。比較が容易になった現在において、"自分にとっての価値"なんてものはもはやあり得ず、常に他人の目を気が気になってしまう日々なのです。

自分を信じろだなんて言いませんし、ありのままのあなたが美しいと、私は思いません。自分を信じたところで人間なんて怠惰な生き物であるし、ありのままのあなたは美しくもなければ素晴らしくもありません。

あなたよりも優れた人間はこの世にいくらでも存在し、そのうえインターネットを使って簡単に見つけることができます。まあ彼らは努力の跡を残さないのですが。

だからこそ、あなたは泥臭く生きるべきなのです。あなたらしく生きるために必要なのは、ありのままに生きることではありません。泥臭く生きることによってようやく人間になるのです。彼(女)らもきっとそうでしょう。私達にはわからぬ苦悩を持って生き、私達には一生理解できない苦痛を受けながら生きているのです。輝いて見えるものの裏には必ず影があるにもかかわらず、光ばかりが綺麗なのではわかるはずもないですが。

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは、生のよろこびを書きつづる。

この一文は以前も引用した、太宰治の『葉』からの文章です。(太宰治 葉)

私はこの言葉に真実味を感じるのです。太宰はきっと悪い男でしたし、よい環境に生まれた運のよい男だったでしょう。しかしそれでいながら、私達には到底わからない"彼なりの苦悩"にさいなまれて死んだのです。

私もいつかこんな人間賛歌を綴れるようになりたいと思う今日この頃なのでした。

以上、No BusesのAlpenaに寄せて

第100回目にしての雑記録

今回がちょうど100回目の投稿になるらしい。

こんなくだらないブログであれど、一端の物書きを自負しているのであるからして、それなりに、それなりの文章を綴りたいと思っている。

 

このブログと言えば、原子力、服、カメラ、言葉である。

 

原子力について

私は原子力を学ぶ学生であり、これからもそれは変わらない。世間一般から見放されかけていた原子力分野に飛び込んだ理由は、ただ何となくである。

もともとはアゲハチョウなどを育てる生物畑出身だが、このまま生物で食べていける気がせず、物理学、特に実用的な工学へと転身した。その後も、本体であればずっと好きだった宇宙分野を目指したかったのだが、自らの出来の悪さを鑑みてとがることに決めた。そんな時たまたま目に飛び込んできた原子力を選んだのがすべての始まりであったのだった。だからこそ、とがっていれば原子力でなくてもよく、本当に何でもよかったのだ。

結果、私の選択は間違っていなかった。私は、あまり優秀な人間ではないが、とがることによって、周囲の人間よりかはましになった。優秀な人間はもっとの評判良い業界に多く、この分野の同年代に至っては優秀な人間は限られている。だからこそ、ただひたむきに本を読むだけで私は彼(女)らの足元へ手を伸ばすことができた。

私はこの世が、"努力が報われる理想の世界"でなくてよかったと心から思っている。そんな世界なら、私は一生報われないであろうから。

 

 

服について

服が好きである。別に特定のブランドのギークだとか、コレクションを見逃さないようにしているとかではなく、それなりに服が好きである。きっかけは革靴で、初めて手にしたG.H.Bassのローファ―を機に、レザーシューズにハマり、その流れで時計やスーツを好きになった。であるからして、スーツやテーラリングのモノばかりを買い、学生で着ていく機会なんて少ないのに、スーツ10着とホワイトシャツ20着以上を部屋に掛けている。

かといって、こんな調子では日常着がままならないので、パンツに関してはカーゴやデニムを愛用している。ホワイトシャツに合わせるにはもってこいだからだ。

私の中の理想の服装は、夏場であれば、ホワイトのリネンシャツにF2などのカーゴパンツ、レザーバンド・ホワイトインデックスのシンプルなシルバーの時計に、小ぶりのレザーバッグ、レザーシューズである。

最近はブラッグのレザーにネイビーの服を合わせることが好きだ。私なりのモダニズムとダンディズムというのだろうか。とにかく、私なりに普通の服装を好いているのだ。

 

カメラについて

カメラを始めたきっかけも、大したものではない。たまたま、周囲にカメラ好きの人間がおり、始めたらどうだと言われたからだ。彼らはその時期に興味を同じくしただけであって、現在では連絡すら取らない人間であるが、一緒に活動をできて良かったと心から思っている。

そんなこんなで始めたカメラは二眼レフである。もともとスクエアの写真を好んでいたし、どうせなら面白いものが欲しいと思って二万円くらいでミノルタオートコードを買った。宇宙が好きなこともあってコニカミノルタ(一般にはプラネタリウムで有名)が気になっていたこともある。

結局はランニングコストが高いことからcompactカメラを買ったり、DSLRを買ったりしていつの間にか台数が5台になっていた。今はKonica Autorexが欲しい。

写真を撮りに行く暇がないという言い訳をつけてここ最近はカメラを持ち出していないので、夏の終わりからまた再開したいと思っている。

 

言葉について

私はかつて詩を書く少年であった。そして少年が自身は詩人でないと気が付くまでそう時間はかからなかった。

今でも三島由紀夫太宰治を愛読しており、彼らの文書が私にとっての理想である。詩人でいえば、やはり、中原中也を好いている。月並みだが。

文章というものは全く不思議で、頭の中でその端を掴んだ瞬間次から次へと連なって言葉が湧き出てくるのである。言葉を綴るにあたっては、湧き出るその水逃さぬように溜め、その中から使えるものを選び出すようにして推敲していく。

こういった雑多記のようなものはいささか適当に、その時の気分へすべて任している。書きたいときに書きたいものを書くことだって必要で、書きたくないときに書かないでいられるようにいろいろな文章を貯めておくことが大切だと思うのだ。

かつで最も崇高な芸術は詩であり、絵画や彫刻なんぞはあくまで工芸であった。その一方で今となっては何が崇高であるか。もはや崇高などという概念がなくなったのだと私は考えているが、どうであろう。絵画を書く能力も像を掘り出す能力も持たない私には風景を切り取ることしか残っていなかったのである。

私にとって作詩とカメラは全く同一の営みだ。この瞳に移る世界の内、美しいと一般に思われるであろうモノを切り出し、称賛する。ただそれだけの行為である。内なる美を表現するのではなく、自然や他人がすでに表した美をこの目を通して見つけるだけだ。

この世の中で、私よりも美しい表現をする者は幾多もあるが、私よりも美しくこの世界を見ることができる人間はそう多くないと思っている。これが、詩人や写真をする私の矜持であり、価値感である。

私は科学者ではあれど、神というものを信じている。だからこそこの世界は美しく、すべてのモノに惹かれるのである。私にとっての神は、かつてアインシュタインが述べたように、スピノザの言うそれである。

 

 

以上、とりあえずこのブログに取り上げたような分野についての私の心持をだらだらと述べた。

本当はもっとまとまったそれなりの文章を綴りたいものだが、時間がないので許してくれ。どうせ誰も読まないのだから。

 

 

love thing / cymbals 和訳

Cymbals の love thing の和訳です。渋谷系からはしばらく(3か月くらい)離れていましたが、再び回ってきました。今回は特にシンバルスが熱く、沖井礼二サウンドに身を包まれながら東京を歩き回る日々です。

 

love thing はシンバルスの最終シングルで、非常にかわいらしい曲デス。

 

以下和訳

 

いっつも君は"ナニカ"をして、"ナニカ"を言っているけど ※1

"愛について"はどう?、もっと一緒に過ごそうよ ※2

あなたのほっぺたにキスをして、「ベイビー愛してる」って言うの ※3

一日中

 

あなたの歩く姿が好き

あなたの話し方が好き

それにあなたのあくびが好きなの

食事をしている姿や

寝ている様子、

あなたが訪れる場所をいつでも見ていたいの

 

「君は子犬みたいだね、周りにどう見られているか考えている?」

ってみんないつも笑うけど、私には関係ないわ ※4

 

あなたの飲み方が好き

あなたのbringが好き ※5

あなたの服の着こなしが好き

起き上がる姿や

笑う顔、

あなたが行うことをみんな見ていたいの

 

「君は子供らしくて、変わっているね、気にかけたがいいんじゃない?」

ってみんな言うけれど、そんなの合っていないわ、だって、

 

"ナニカ"を、君はいつもやって、言っているけれど

"恋について"は? もっと私と一緒に過ごそうよ

そしてほっぺにキスをして、愛しているって言うからね

この一日が終わるまでずっと

 

"君は馬鹿げたことをしているね、気づいた方がいい"

ってみんな言うけれど、正しくないわ、だって、

いつも君は"ナニカ"をしているけれど

"愛について"はどうなのよ?、もっと私と一緒にいて

そして、頬に口づけをして"あなたが好き"って言ってあげるわ

 

愛してる

ほっぺたにキスをしてあなたに愛をささやくの

この日が終わるまでずっと

 

※1 ここはこの※1のsomethingと※2のlovethingとで韻を踏んでいて、「いつも君は忙しく何かしているけれど、ちゃんと愛してよ」っていうようなセリフ回しだと思っています。

※2 同上

※3 "smackin!"は音を立ててキスをするスラング。ここでは、「あなたのほっぺにキスをして、愛してるって言う」って感じですが、急に能動的な行動の意思表示を入れてもなんだかキモチワルイので、「言うの」とか「ささやくの」としています

※4 "aware what you do"の訳で、直訳だと「何してるのかわかってる?」って感じですが、語感が強すぎるので、適当にまろやかに直しています。

※5 ここのbring何かわかりません。この一文前の終わりがdrinkなので韻を踏んでいる関係でbringなのでしょうが、何かの慣用句があるのでしょうか?私にもわかりません

 

以上

 

 

とにかくかわいい曲ですね。恋人のことが大好きな女性が私の想像上のヒロインです。しかしながら、読み返してみると子犬系の男の子がヒーローでもいいのかなと思っています。"あなた"のすることは何でも好きだから、ずっと見ていたい。ずっと一緒にいたいし構ってもらいたい。というようなかわいらしさが曲中ずっと感じられます。

本和訳では同じ英文でもできる限り同訳を避け、言葉を選びながら作っています。本当は同じようにしていくべきかもしれませんが、あまりオモシロクナイものを書き綴っても仕方ないので、まあ許して。

 

男性が女性目線で描く詞には、少なからず彼ら本人のエゴというか理想が混ざりこんでいるように感じますが、この歌詞は結構好き。子犬の様な恋人って男女問わずいらっしゃると思いますが、気持ちを表現することが得意な人っていいですよね。別に妬み僻みとかではなく、単純に好印象を持てるという意味で。

「本当の言葉でしゃべろうか/それは僕にだって難しいこと」って言うのは西沢さんpの『アセロラ』の歌詞ですが、素直な気持ちを素直なまま表現できることは素晴らしいと思うのです。私にとってはあれもこれも頭の中でぐるぐると回り続け、ようやく出力された回答を表現するので手一杯ですが、素直に話すことができる相手だって幾人かはいるんですね。うらやましい。

相手を選ぶといことの良し悪しはともかくとして、素直なまま生き続けられるような状況を夢見つつ、そうではなく、頭を動かしている自分自身に愛着を持ちながら今日も帰路に就くのです。