ココボロだとか好きだとか

大学生による趣味の開拓と備忘録

Strawberry Switchblade、Since yesterday の和訳

Strawberry Swichblade のSince yesterday の和訳です。

ポルカドットと言えば彼女らですね。

カラフルな大柄ドットにロリータファッション。1980年代に活躍したイギリス出身の彼女らですが、私が思うに日本の"Kawaii"文化の走りは彼女ら二人だったと思うのです。

まあそんなことはどうでもよくて、いろいろ好きな曲がありますが、やはり代表曲、「二人のイエスタデイ」ことSince yesterdayですね。

この曲は惰性で付き合っている二人の別れ話的な曲ですが、ロリータファッションも相まってなかなか個性的な作品に出来上がっています。PVを見ていただければ魅力が分かると思いますので、ぜひ調べてみてください

 

以下和訳

ー------------------------

ただ眼を閉じて、そして思い出してみて

あなたが今まで目を背けていた考えを。

明日になったらきっと、あなたは

昨日の思い出を懐かしむはず ※1

 

そして私たちはここに二人だけで座って

続けていくための理由を探している ※2

それではっきりとわかるの、私たちに今残っているのは

昨日までの想いだけしかないってね ※3

 

私たちが終わった後にも、まだあなたがここに居続けるのなら

怖いけど、私が言わなければならないんでしょう

これまでのあなたは

昨日きりで終わってしまったって ※4

 

ああ、きっとこれは終わりの合図で

もう私達には何も残っていないの

あなたに言えなかったたくさんの望みもあるけれど

もうこれからは願うことはしないわ ※5

 

※1 when tomorrow comes you'll wish, you had today の訳。「明日が来たら今日のことを願うでしょう」ってのが直訳ですかね。あまり日本語的には自然な表現ではないのでこの訳にしました。

 

※2 Looking for a reason to go on. 続ける理由を探すって意味ですが、まあ歌詞を見る限りは付き合い続ける理由ってところですかね。

 

※3 It's so clear that all we have now, are our thounght yesterday. が元文ですが、私たちが今持っているものは、昨日の考え。ってのが直訳ですが、まあ感覚的には惰性で付き合っているだけの私たちはもう別れようよって感じですかね。

 

※4 この節は、懐古厨の彼氏がいつまでも引きずってるから、もうやめようって言わなきゃいけないわって感じのお話ですね。

 

※5 最終節の最後2文は、a handred wishes couldn't say, I don't want to. の訳です。願っていない、かつて言えなかった1000個の願い。って感じですが、意味的には付き合っていた時には言えなかったこまごました想いがあったけど、もういいわ。って感じですかね。

 

ー----------------------

以上

 

Stroeberry Swichblade、イチゴの飛び出しナイフって名前からもう素敵で、PVも二人のファッションも歌詞も音楽もすべて魅力的なミュージシャンです。ぜひいくつか聞いてみてください。

窓越しの花

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窓越しの花

この写真とこの題で短編小説を書きたいと思っている。

私には甲斐性というものがないから、どうやったらしっかりとした文章を書ききることができるのかわからない。

好きな小説はいくつかあり、短編でいえば、三島由紀夫の「雨の中の噴水」や「詩を書く少年」、太宰治の「新郎」など挙げればきりがない。いくつの本を読んだって文章を書けるようになるわけではない。分かっている。でも、私だって同じような文章を書いて、芸術を行いたい。純文学とは芸術であるだろうから、純文学を志したい。

 

テーマはそう、「私の発見」にしよう。小林秀雄であっただろうか、かつて「私は料理人にも、詩人にもなることができたが、私以外の誰かになることはできなかった」という旨の文章を書き残したのは。ひとつの驚きである。可能態。私は様々な"モノ"(便宜上の名である)になることができる。その一方で私以外の"存在"になることはできない。

私とはたくさんの"モノ"によって構成される。「私は●●である」のように私を構成する"モノ"をいくつも数え上げることによって、やがてほかの存在と区別してやろうという魂胆だ。これはいうなれば、生物学の分類のように、界、門、綱、目、科、属、種と分けていくようなものだ。確かに存在が無限でなく有限であれば、簡単に(手順の個数ではなく手法として)存在を分けて定義することが可能である。

では逆のアプローチならどうだろうか。私は高校生ではない。私は運転手ではない。私は詩人ではない。このように、「私は●●である」は「私は〇〇ではない」と置き換えても、どうも都合がよさそうである。その割には、あまりこの手法は一般に見られない。

小説における手法とは、どれだけ生き生きと主人公を映し出すか。その周辺の空間を彩ることができるかに終始しているといってもいいだろう。

純文学とは芸術であり、芸術とは哲学であるからして、純文学とは哲学である。三段論法。

ならば、私は、主人公の定義を行わないでお話を進めよう。少年は花に憧れていた。それ以外の断定を彼に対して用いないことにしよう。代わりに「少年は〇〇ではなかった」という文を彼の描写に用いることにしよう。

そして前に挙げたテーマのように、少年の内に秘める可能態と現実との隔たりや彼が理想を否定されながら、結局彼以外の誰にもなることができないという事実を書くことができればよいなと思っている。

 

 

野外撮影会と桜を取る老婆

野外撮影に行ったらおばあさんが綺麗な桜の前で足を止めて、ガラケーで撮影を始めた。 おそらく私の持っているカメラよりもきれいに撮ることはできないだろう。しかし、もしかしたら私よりもその光景を美しく感じていたんじゃないだろうかと思う。

 

話は以上だ。だけど文章はもうちょっと続く。

 

私は絵を描くことができない。昔は描けていたらしい、小学生の頃、中学生の頃。過去には詩も書いていた。学校で描かされた絵は決して上手な絵ではないが、教室ではなく廊下などに掲示されたり市内の何某かに出展され飾られていたし、現代詩では二回くらい何かの賞をもらったことがあった。

そんなことが皆できなくなったのはいつからだろうか。高校では音楽に触れた。私には皆目技術もセンスもなく、何もできなかった。私の力ではなく、周囲の皆の力で賞を取ったのだ。絵も描けなくなり、自分が詩人ではなかったのだと気が付き、音楽だってなんの結果も得られはしなかった。だからこそ今は写真をやっている。

 

写真は、私が技術を持たずとも美しいものを用意することができる。美しいものを見つければいいのだ。私が美しく撮らずとも、そもそも被写体が美しいのだ。私は私の目を誇りに思っている。乱視でろくに文字が読めない目が、視力が悪く先を見通すことのできないこの目こそが私の誇りなのだ。私は私が美しいと思ったものにレンズを向け、4種類くらいの設定をしてボタンを押せば簡単に写真が撮れる。

ああ、君よ。私はおそらく、あなたよりも綺麗に写真を撮ることができないだろう。しかし、私は誰よりも美しく、この瞬間を、この景色を見ることができるのだ。

それこそが私の誇りであり、詩を書く少年であった私の矜持である。

 

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さくら

この写真はあまり上手ではない。分かったうえで、今日はこれ以外の桜の写真を撮れなかったために選んでいる。

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花壇

この花壇は初めて二眼レフで野外撮影に行ったときに撮った対象である。一年弱たって再び、今度は一眼レフで撮影してみた。良いとは言わないが、悪くもないだろう。

 

今日はそもそも二眼レフの撮影会として外出したため、あまりデジタルの写真は残していない。お見せするものはあまりない。

原子力発電所への攻撃、日本の核保有について

昨今のロシアによるウクライナ侵攻について、原子力に係る話題がよく登るので少しお話をしておこう。

と思ったが、あまりまとまっていない。一番下の文章だけ見て気になればだらだらとした本文も見てもらえれば多少知識の補強になるだろう程度に過ぎないので、期待はしないでほしい。

 

最初の断りとして、私は一端の工学者であって特段電力会社や研究所に勤めているわけではない。第一種放射線取扱主任者試験に合格しただけの一般人に過ぎないことを了解してほしい。

内容としては

原子力発電所への攻撃について

2日本の核兵器保有について

の2点だ。

 

 

1原子力発電所への攻撃について

3/4現在、ロシアがウクライナ原子力発電所へと攻撃を行い、訓練センターで火災が発生した。放射性物質の環境放出は未だ確認されていない。

日本もロシアと領土問題を抱え、原子力発電所だっていくつか所有しているため、他人事と割り切ることは難しいだろう。ただし、前提として仮に戦争時であったとしても原子力発電所への攻撃は国際法にて禁止されていることを忘れてはならない。

問題は、原子力発電所への攻撃がどれほどの影響を生み得るのかということだ。あまり好きではないが、ヤフコメ等では「核兵器を持たずとも、原子力発電所への攻撃を行えば、核攻撃を行ったも同然だ」という旨のコメントが散見される。これには「勘違いがある」と言っていいだろう。

その理由は、原子力発電所核兵器は全く別のものであることと、核兵器による被害のほとんどは爆風と熱戦によるものであることの二つだ。

 

第一に原子力発電所核兵器は全く違う。原子力発電所、特に日本に存在する原子炉では濃縮度5~7%程度の核燃料が用いられ、長時間臨界を継続させてエネルギーを発生させている。一方原子力爆弾の場合はほとんど90%以上の濃縮度の核燃料が必要である。

この濃縮度とは核燃料中におけるウラン235の割合を表している。ややこしいのでプルトニウムは省こう。そもそも炉内部にそこまでプルトニウムは多くない。どう見積もっても10%を超えないからだ。また、ウラン235プルトニウム239とはそもそも何ぞやという話題は面倒だからなしだ。これらの濃度が高いほど、核分裂が起こりやすくなるとだけ考えてもらえれば十分だ。

そして当たり前だが、ここまで濃度が異なれば、瞬間的な爆発力ははるかに劣る。核兵器の場合は一瞬でたくさんの核分裂を起こし、瞬間的にエネルギーを放出させることによって爆発を起こしているが、原子炉ではゆっくり時間をかけて少しずつ核分裂を起こしている。だからこそ、原子力発電所を攻撃したって、核兵器のような被害を与えることはできない。原子力発電所が爆発する原因は基本的に水素爆発(福島は実際に水素爆発によって破壊された)であり、核分裂によるものではない。水素爆発はただの化学変化による爆発であるため、エネルギーが非常に大きいわけではないことも付け加えておこう。

 

そして続いては核兵器による被害についてだ

これは広島平和記念館による資料である。

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(原爆の被害)

我々が想像する核兵器、核爆弾による被害とはそのほとんどが爆風と熱線とによるものである。核兵器と聞くと核分裂を利用しているためいかにも放射線による影響が強いと思われがちであるが、正しい認識とは言えない。皮膚がただれる、ケロイド状になるといったのは基本時に熱線が原因であり、急性放射線障害による傷害ではない。

そもそも、急性放射線障害になるくらい線量の高い場所に人がいるのであれば、放射線障害になる前に、爆風と熱線により死んでしまうだろう。

 

以上のことから、原子力発電所を攻撃したとしても核兵器のような悲惨な状況へは至らない。ただし、チェルノブイリ周辺が放射性物質により汚染されてしまったように、残留放射線(正しくは残留放射性物質)による影響は残るだろう。しかしこれはあくまでも人の命を脅かすものではなく、速やかにその場所から退避することができれば影響が出ないといった避けることが可能な被害であることは強調しておきたい。

 

 

また、日本においても原子力発電所への攻撃やテロリズムがあれば、第二のチェルノブイリになり得るのではないかという懸念がある。まあそれはその通りだ。

3.11以降、外部からの攻撃についての規制も強化され航空機が仮に落ちてきたとしても影響が出ないように防護が為されている。とはいうものの、破壊を目的として攻撃されたらすべてを防ぐことはできない可能性だってもちろんある。その場合は確かに放射性物質の拡散や環境への影響、福島のように避難指示区域が発生する可能性があることも否定はできない。

この点を挙げて、ゼロ原子力を主張するのもわかる。が、前提として原子力発電所への攻撃は禁じられていること、ミサイル迎撃などそもそも攻撃を防ぐ手段も存在すること、また、原子力発電所による攻撃は壊滅的な被害を与えることはできず、国際世論からの反発や様々な問題を孕んでいる。仮に戦時中だとして原子力発電所への攻撃が有用な手立てであるかどうかはやや疑問が残る。まあ実際起こっている以上否定はできないが。

 

 

2日本の核兵器保有について

現在日本は、核兵器を製造することができる原料を持っているといわれている。ただしそれはほとんどの原子力発電所保有国に当てはまる。プルトニウムに限れば確かに日本は有数の保有国である。よく原爆5000発分のプルトニウム保有するといわれるが、それはあくまでプルトニウムを持っているだけだ。それを利用するためには濃度を高め、専用のミサイルを作らなければならない。

例えば、日本では砂鉄がたくさん取れるが、それをもってして日本は鉄に恵まれた国だといえるだろうか。おそらく言えない。なぜなら濃度が低いからである。基本的に工業技術として利用するためには高い濃度のモノが必要だ。多くの鉄鉱石は日本の砂鉄なんかよりもはるかに高い濃度で鉄を含んでいるから、精錬して金属鉄を取り出すことができる。もしも日本の砂鉄のように濃度が低いものから必要な鉄を取り出そうとしても取り出すためにはたくさんの原料が必要だし、取り出すための作業が必要になる。

日本におけるプルトニウム保有も同様だ。国際的な枠組みによる取り決めにより日本はプルトニウムの単体保有を認められていない。もしもプルトニウムを利用したいのであれば、プルトニウムを単体として取り出し、また濃縮作業が必要になる。

日本は濃縮技術も保有しているため、たしかにやろうと思えばできるだろう。しかし、それを国際社会からばれないように行う事はまず不可能だ。原子力発電所ではIAEA(国際原子力機)から定期的な監査を受け、抜き打ちの検査などもあることからばれずに作ったとしてもできるころにはばれるし、ばれたの国際社会からの反発も忘れてはいけない。

また、核兵器とはプルトニウムやウランのみでできているものではない。先にも少し書いたが、専用の爆縮機構やミサイル制作など材料だけではどうにもならない。そのうえ現在では地上の核実験は禁止されており、作成するとしたって実験ができないものをどうしようというのだろうか。まさか、理論はできているから万が一攻撃されたときはぶっつけ本番で使用します。なんていうのだろうか、さすがに無理な話である。

以上のことから、少なくとも誰が何と言おうと現状日本で核兵器を制作することは可能だ、しかし現実的ではない。

 

後は日本が核保有を行う事に対する議論。これは正直触れたくない。私はそもそも原子力発電所に対して賛成でもなければ反対でもない。現状必要な気はしているが、世論がいやだというならやめればいい。ただし、電力コストの増加と現在みたいに原油高上昇による費用圧迫やエネルギーセキュリティーの問題を引き受けることになることは強調しておこう。そして、そんな現在において、わざわざ核保有の議論なんてやめてほしい。

私はかねてから廃止措置や地層処分などに係りたいと考えているが、ただでさえ厭な世論だ。私達原子力発電所核兵器の違いも分からない。放射能放射性物質の違いも判らない。そんな中で地層処分を行うための理解を促進することだって難しいのに、核兵器保有の議論だなんて面倒だ。面倒なだけで必要性を主張する気持ちだってわかる。安全保障のために必要だと言われればそのような気もする。しかし、原子力産業に生きようとする身としては、あまりにも放射線原子力に対する理解が乏しい現在日本において核保有の議論は難しい。もっと放射線教育や原子力教育について力を入れてくれるのであればよいが、私にはまだまだ難しいだろうと思われる。

 

 

以上だ。あまりまとまっていないままだらだらと書いたから、少しまとめておこう。

原子力発電所核兵器は全く異なるため、仮に原子炉が爆発したとしても核兵器のような悲惨な被害は出ないだろう。ただし、チェルノブイリや福島のように数十年立ち入りができない場所が狭い範囲で発生する可能性はある。しかし、これによる人への被害は避難によって避けることができる。

また、日本の核保有に関しては、現在では材料を持っているのは正しいが、作成するにあたり、国際社会から隠し通すことはまずできない。そもそも現在日本は核兵器を作成することは可能であるが、現実的な話ではない。仮に保有した場合は国際世論からの反発があることは忘れたはならない。また、核保有の議論は日本において難しいと考えている。感情的な反発が大きい。感情的な反発それ自体が悪いわけではなく、人間としては仕方ないだろう。しかし、原子力産業へのこれ以上の風当たりはやめてほしいので個人的には反対である。

LIGHTERS / Don't worry 和訳

最近カメラの話ばっかりしていたのでたまには和訳も。

今回はLIGHTERSの「Don't worry」。表記は全角英字が正しそうなのでそうしてます。

ライターズはガールズスリーピースバンド。ドラムスの方は男の人ですが、サポートのようですので、女子二人のガールズバンドと言ってもいいでしょう。Japanglishなガレージロックが印象的なバンドで非常に好みです。MVやPhotographはみなフィルムを思わせる編集が行われており、音楽のみならず世界観が非常に気に入っております。

 

こちらが歌詞です

petitlyrics.com

以下和訳

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1997年に君がこの世界に誕生した

それは、僕が生れた1年と半年後のこと

きっと寒い日のことで

全てのことが愛おしい日だったんだ、だって私にとってそうだから ※1

 

君は毎晩、えくぼのある笑顔でこう言うんだ ※2

「そんなのきっと嘘よ、絶対

けれど私がもしこの世界に生まれていなかったら、君は

こんな歌だって知らなかったはずでしょ」

 

心配しないで

君は大丈夫だから

私がそばにいるよ

さみしくなったらいつもこの歌を歌うんだ

この歌と一緒なら宇宙にだって行けるんだ

 

 

注釈

※1 Everything seemed loved, Because I think so. の訳。すべてのことが愛おしく思われる様、だって私がそう思うから。って言うのが直訳ですね。このEverythingはeverything on you もしくは everything on the day のどちらなのかっていう問題ですが、Because I thik so の文を鑑みればおそらく on the day でしょう。

 

※2 you said every night と you said while showing dimples の両文を訳したものです。

本来は「」の後に後者の文が来るのですが、said が二つ重なるとあまり良い翻訳っぽくなく、直訳感が出てしまうのでまとめました。

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雑感

特段難しい単語も、難しい構造も出てこず非常に分かりやすい歌詞であると思います。

素朴で暖かい歌詞、どこか懐かしく優しいサウンド、ざらついた映像。好きな人は好きそうなバンドだと思います。ほかの曲も大好きで、初めの和訳にはどれを...と思いましたが、悩んだ末にDon't worryを選びました。

 

KonicaⅡB-mの購入

KonicaⅡB-mを購入しました。

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KonicaⅡB-m引き

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KonicaⅡB-m寄り


つい先週まではMinolta Hi-matic AFが欲しいとかKonica AUTOLexが欲しいとか言っていたのに、購入したのはKonica ⅡB-mです。

 

まあデザインですよね。個人的にはコンパクトカメラに非常に機械的な魅力を感じるのですが、その中でも1950年周辺で作成されたコニカのカメラは非常に高度なデザイン性がとびぬけているように見えます。しかも機械好き(私は特段機械好きではありませんが)は機能美に魅せられることが多いと思いますが、本当に良い。ダブルヘリコイド式でのレンズ稼働や絞り・シャッタースピード調整のダイヤル、フィルム巻き上げやシャッターボタン無駄な機能はなく、必要十分な機能が非常に美しくまとめられており、とにかく綺麗。

このKonicaⅡB-mはコニカ2型カメラと呼ばれる部類のカメラですが、2型があるなら当然1型、3型も存在します。1型は本当に昔のカメラっぽく、レンズと軍艦部、底部以外は金属が露出しておらず、前後一面張革で覆われているどこか優しいデザイン。3型は直線を多用したThe Classic Cameraというような凛とした格好いいデザインです。

 

その間に存在する2型カメラはⅡ(無印)、ⅡB、ⅡB-mと種類がありますが、みんな曲線を用いたデザインとなっています。(本当は型式以外にもレンズがHexarもしくはHexanon、シャッターがKonicarapidもしくはSeikoshaなどのマイナーチェンジがいくつかあるようです)

私のモノはⅡB-mでHexarレンズ、Seikoshaのシャッターです。そこまで詳しくないので、どのレンズがどうとか、シャッターが何とかは知りませんが、まあそんな感じ。

 

 

ちなみに、向かって右側が金色になっているのはメッキがはがれて真鍮が露出しているからです。というのも、ジャンク品で購入したもので状態が悪く、特にこの向かって右側の側面はサビだらけでした。

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購入時の様子1

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購入時の様子2

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購入時の様子3

見ていただいてもわかるように側面が一番ひどい。軍艦部、底部もそこそこ汚れていますが、サビてはいないって感じですね。

状態を確認して写真を撮ってからはまず、無水エタノールと綿棒、つまようじ、ウエスをつかって大きな汚れ落としを行いました。軍艦部や底部はそれだけでそこそこ汚れが落ちました。その後ピカールを使って磨き上げたという感じです。

しかし側面はどうしてもサビが落ちず、仕方ないので金属やすりで削り落とし、紙やすり(100→200→600→1000)で簡単に磨き、ピカールで仕上げをしました。まあ当たり前と言っちゃ当たり前ですが側面のメッキははげてしまい真鍮が露出することとなりました。そしてその側面部やその付近の張革も少しはがれてしまっています。

が、サビばっかりよりは金色に光ってる方がまだましなので、そこそこ満足です。

張革くらいは素人でも張り直せそうなので、それくらいはもうちょっと見た目を整えるためにやっておきたいです。

 

かれこれ長く見た目について語ってきましたが、次は機能について。といってもまだ現像には出していないので、本当に大丈夫かどうかはわかってません。

一応シャッタースピードは調整できている(表示通りの速度が出ているかは不明)、巻き上げやシャッターボタン、レンズも問題ありません。昨日27枚撮りのフィルムを使って試し撮りを行ってきたのですが、撮ってる感じとしては全く問題はなかったです。

あとは現像に出したものが返ってきてどうなるかといったところでしょうか。

購入は送料込みで2,000程度、の割にはずいぶんきれいになりましたし、ちゃんと動いているのでいい買い物ができたと思います。こうなると1型や3型もそろえたくなってしまうのですが、どんどんほしいカメラが増えていきますね......

野外撮影(α-Sweet DIGITAL)

先日購入したKonicaMinolta α-Sweet DIGITALで野外撮影に行ってきました。二回目。

 

レンズはKnonicaMinolta AF DT 18-70とMinolta AF 100-300の2本です。

 

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切り株

レンズ : Minolta AF 100-300

f : 5.6、露光 : 1/500s、ISO : 640

切り株の前には水仙がいくつも咲いていたのですが、なんとなく、切り株の方がよく見えたので撮影。3時以降の撮影なので陽の光が柔らかい黄色になっており、暖かな写真が撮れる気がします。

 

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しだれる

レンズ : Minolta AF 100-300

f : 5.6、露光 : 1/250s、ISO : 800

木の種類はわかりませんがしだれる葉が綺麗でしたので撮影。あまり明るいレンズではないですが、背景が綺麗にぼけていることや陽の光を受けて輝く葉がお気に入りです。

 

 

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枝染め

レンズ : Minolta AF 100-300

f : 4.5、露光 : 1/250s、ISO : 400

桜は蕾を蓄える前が一番美しいのです。というとペドフィリアのようですが、まあ桜に関しては本当にそう思っています。枝先が真っ赤に染まっている様子は木の生命力を感じることができるため大好きなのです。

 

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レンズ : KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 5.6、露光 : 1/160s、ISO : 100

赤い色が好きです。と言ってもカーブミラーはオレンジですが。割と低い位置に設置されており、背景のカーブとミラーの曲線に惹かれて撮影。

 

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KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 5.6、露光 : 1/160s、ISO : 500

錠前の撮影。サビているのはわかるけど別にチェーン巻かなくてもいいんじゃ...と思い撮影しました。それ以外に特段言うことはありません。

 

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KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 5.6、露光 : 1/50s、ISO : 800

そろそろちょっと陽が落ちて明かりが弱くなってきました。赤が好き(二回目)。逆光気味なおかげで背景が綺麗にぼけており、それなり。花がもうじき落ちそうなくらいにしおれてきているのも結構好き。

 

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枝空

KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 8、露光 : 1/160s、ISO : 100

枝のシルエットと雲の直線が気に入ったので撮影。空の撮影はどうしても平面的になりがちなので、枝くらい入れてやらないとうまく見えない気がします。

 

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信号機

KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 8、露光 : 1/250s、ISO : 100

なんとなくフィルムのような色遣いに見えます。ISOが低いせいですかね。信号の赤が綺麗だったタイミングで取りたかったんですが、おそらく黄色の時点の写真ですね。道路を占拠するわけにはいかないので、撮り直しはしませんでした。

 

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石垣

KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 5.6、露光 : 1/125s、ISO : 800

石垣に生える植物。何だか知りませんが、葉が綺麗に整っているのが気に入り撮影。奥行きを出したかったので斜めからですが、まあまあ良くできた気がしなくもない。

 

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修正止まれ

KnonicaMinolta AF DT 18-70

f : 7.1、露光 : 1/125s、ISO : 100

道路に書かれた「止まれ」が修正され小さくなっていたのが気に入ったので撮影しました。道路にある下書きのチョーク跡や消された「止まれ」はすぐに消えて見えなくなってしまい、今しか見られない気がします。

 

今回からちゃんと容量のあるCFカードを使用しているのでたくさん撮れます。これまでは19枚(124MB)しか撮れなかったんですが、今は5,212枚(32GB)も撮影できます。

今日は80枚くらいとった内の10枚を紹介しましたが、個人的によく取れていると思ったのは15枚程度ですね。できる限りAFに頼らず、マニュアルで取るように心がけて撮影を行いましたが、ピントが合っていないのもいくつかありました。本当は内臓のディスプレイで確認して取り直せばいいのですが、いかんせんディスプレイの画素数が低すぎて確認できないので、撮り直しもできていません。次撮影に行くときは露光時間をマニュアルにして操作に慣れていきたいと思います。

ちなみにサブとしてC35-EFもつれて行って撮影をしたのですが、無事撮り終わり。ただし、いつもフィルムの取り出しがうまくいかず(なんか巻き終わったと思って開けるとまだ巻き終わってなかった)何枚かの写真はお陀仏しました。仕方ないね。

 

いつの間にか2,000字に到達しそうなので、ここら辺にしておきますが、これからも撮影に行く度に記録と感想を残していきたいと思っております。(n回目の決心)